椎名誠『世界どこでもずんがずんが旅』

4月16日(火)晴れ

 昨日(4月15日)、紀伊国屋そごう横浜店で植草甚一『ぼくは散歩と雑学がすき』(ちくま文庫)とこの書物を買い、昨日のうちにこちらを読み終えた。植草さんの本の方は読み終えるのにもう少し時間がかかりそうである。旅と行動の人である椎名さんと散歩と雑学がすきだという植草さんとでは、植草さんの方が私に近いと思うし、実際、植草さんとは一度だけすれ違ったことがある。そのことについてはまた書くことにしよう。とはいうものの、同世代といってかまわない椎名さんの書いたものは、気質の違いを自覚しながらも楽しく読んできたし、これからも読み続けるだろう。

 この本は2010年に単行本として発行されたものを文庫(角川文庫)化したものである。単行本の方も読んでいるので、記憶に残っている内容が少なくない。新聞と雑誌に連載された旅についてのエッセーをまとめたものである。「ずんがずんが」は見なれない言葉であるが、「あとがき」によると子どもが小さかったころによく読み聞かせた絵本の中に出てくることばで、その豪快な感じが旅の話にふさわしいと思って選んだのだという。椎名さんのこの種のエッセーには旅の最中、あるいは直後に書かれた臨場感にあふれたものが少なくないが、これは想い出に基づいて書かれたもので、そうした臨場感はない代わりに強い印象を残した経験が選び出されており、深く考えたことが付け加えられている。

 楼蘭・ロプノールへの探検の想い出から、砂漠の中のオアシスのみどりに感動して、「樹々の緑がこれほど人間の心にやさしいものなのか、と驚愕した。そして人間は緑を失ってはいけないんだ、ということを強く知り、その時の強烈な思いが、いとも簡単に、そして無闇に山の樹々や公園の樹木を切ってしまう日本のヘンな行政のあり方への疑問の始まりになったような気がする」(9ページ)と記す。

 椎名さんとお役所のものの感じ方・考え方の違いが出ているもう1カ所。「・・・ぼくはリスボンに着いた初日から路地ばかり歩いていた。洗濯した水は坂の多い路地を流れるので温泉街に来たように道の端から水流の音が聞こえてきたりする。ああいいなあ、と思った。/でも、モノの見方はさまざまで、そのあと日本の役人関係のいわゆる視察旅行があって、そのときの役人の報告に『リスボンの街は古い石の建築が多く危険であり、石畳の道は狭くその路上に洗濯物などが干してあって汚く、都市整備が全体に遅れている』などと書いてあるのを見たことがあり、驚いた記憶がある。/色とりどりの野放しの看板や電線が空を覆い、全体がプラスチックのハリボテ見たいな風景になってしまった日本の都市風景のチープさをつくづく虚しいと思っていたから、まったくその反対の感想をもった日本の役人たちの感覚にびっくりしたのだった」(77ページ)

 ミャンマーを訪問して「全体がひっそりしている。人々はひっそりと真剣に力強く生きているように思えた。9・11以降、もしかすると世界戦争か、などという不安に満ちていたときに、そんなことも知らずこの貧しい国でひっそり生きている人々の厳しさと、とりあえずの小さな平安を複雑な思いで眺めていた」(84ページ)と記す。まだ軍政による統制が厳しかったこの国の探訪記として貴重な証言である。

 「いくつもの島を、それぞれ逆回りのカヌー船団で回る、途方もないスケールの、命がけの儀式であり、祭礼であり、レースである」(162ページ)クラを見るために訪問したニュージーランドの東方のキタヴァ島から「帰国した直後はしばらく不思議な感覚におそわれた。・・・キタヴァ島で毎日見ていたのは空や海や波や雲や草木や動物や燃える火や星々出逢った。それらはすべて自然界の造形で、自然界には直角や正方形や正三角形や真円という目に厳しく飛び込んでくるトゲトゲしい風景はないのだ、都会がいかにストレスにみちた風景ばかりか、ということを逆の世界に行っていて学んだ気分だった」(166ページ)という経験は『ガリヴァー旅行記』そのものである。

 というわけで、単なる読み物である以上に、さまざまな思索の手がかりを与えてくれる本なのである。

 
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