ブルックリン

8月14日(土)晴れたり曇ったり

 1950年代初めのアイルランドの地方都市。食料品店を週1日だけ手伝っている若い娘エイリシュ(シアーシャ・ローナン)は姉の知り合いでブルックリンに住むフラッド神父(ジム・ブロードベント)の紹介で、アメリカにわたって働くことになる。学校の成績も、気立てもよい彼女だが、アイルランドでは仕事が見つからないのである。(アイルランドは第二次世界大戦では中立国であったのだが、中南米諸国とは違って、中立国であることの恩恵にはあずからなかったらしい。)

 まだこの時代、大西洋を横断するのは船の方が一般的であった。貧乏な移住者ともなれば、なおさらである。(無声映画時代のチャップリンの『移民』という映画では船の揺れが誇張して描かれているが、経験した人にとっては、笑い事ではなかったようである。チャップリンは英国人であったが、やはり移住者であり、映画には自分自身の経験が反映していると考えられる。) それでも周囲の人たち、特に同室になったアイルランドに一時帰省していたらしい女性が、船の中の過ごし方や、入国審査についていろいろ教えてくれる。アイルランドからアメリカに移住する人は多いので、入国審査は厳しかったらしい。

 ブルックリンに到着したエイリシュは寮(boardinghouse.字幕では「寮」と訳されていたが、賄い付きであり「下宿屋」に近い)から勤務先のデパートに通うことになる。慣れない仕事で戸惑うこともあるが、周囲にアイルランド系の人たちが多いので、助けられる。とくに、職場で彼女を指導する女性がしっかりと彼女を見ていて、ホームシックにかかったりすると、フラッド神父に連絡を取ってくれたりする。神父の配慮で彼女はブルックリン・カレッジ(ニューヨーク市立大学ブルックリン校の通称)に通って簿記の勉強をすることになる。フラッド神父は彼女を自分の事業のスタッフの1人として育てていくつもりのようであり、クリスマスには神父の手伝いで年老いても財産を作ることができず、行き場のない老人たちのための食事を提供する手伝いをしたりする。アイルランドの歌(アイルランド語で歌われる)を聞いたりして故郷を思い出す一方で、アメリカが人々の期待や努力に必ずしも公平に応える国ではないことを身をもって知る。(この場面で、老人たちがスタウトを飲んでいるのが印象に残る。スタウトの銘柄がギネスであったか、マーフィーズであったか、確認できなかった。)

 彼女は、教会のダンス・パーティーでトニー・フィオレロ(エモリー・コーエン)という青年と出会う。イタリア系の配管工である彼は、アイルランド人の女性と近づきになりたかったのでこのパーティーにやってきたという。職場の指導係の女性をはじめ、周囲の人々は彼がまじめな人間だと判断して、付き合うことに賛成である。彼の家での食事に招かれ、寮の女性たちにイタリア料理の食べ方の特訓を受けたりする。実際に食事に出かけて、アイルランド人に対するイタリア人のステロタイプな見方(警官が多くて、イタリア人をいじめる)とか、野球の話(一家を挙げてドジャーズの応援をしている)に戸惑ったりするが、全体として好感を持つ。(この時代、ニューヨークには3つの野球チームがあり、ミドル・クラスはヤンキーズ、ローワー・ミドル・クラスはジャイアンツ、ローワー・クラスはドジャーズと社会階層に応じてひいきチームが分かれていた。)

 仕事にも慣れ、簿記についての資格も取り、トニーとの仲も順調に進んでいたエイリシュであるが、アイルランドで働きながら、母親の面倒を見ていた姉が急死したという悲報が届く。葬儀には参列できなかったが、彼女は仕事を休んで、母親を慰めに帰国することにする。トニーは、2人だけででも結婚式を挙げておこうという・・・ この後、エイリシュはアイルランドに戻って、アメリカに移住する以前にはしなかった経験を重ねることになる・・・・。

 ジョン・クローリー監督の演出は手堅く、奇を衒わない。エイリシュを演じているシアーシャ・ローナンは赤みがかった髪の毛とがっしりした体格がアイルランド女性らしく、最初の方の場面では緑色のセーターを着ていることが多いが、緑はアイルランドのナショナル・カラーである。そういう風に多少類型的な描き方をされているが、次第にアメリカでの生活になじんでいく。アイルランドの地方都市での生活は、地域の人々がお互いに顔と名前を知っていて、地域的な結びつきが強いが、その中で意味のないうわさ話が飛び交ったりして、閉鎖的で停滞している。アメリカでのアイルランド人・コミュニティは新しい土地でお互いに助け合っていこうという意識が強く、イタリア人との恋愛を認めたりしてより開放的に思われる。アイルランド人もイタリア人もカトリック信者が多いことと、それほど裕福でない人が多いという点で親近感があるということであろうか。アメリカは東部から西の方に発展したが、西に移動するだけの財産がない人々は東の方にとどまっていた。アイルランド系が東部に多いのはこのためである。イタリア系の場合はアメリカへの移住が比較的遅く起きたために、東部に住む人が多くなったということである。

 60年以上昔の話であり、その頃から比べて交通や通信が大きく変化して、アメリカとアイルランドの距離は縮まっているし、その結果として生活やその中での意識も変わっているはずである。とはいえ、アイルランドは、1840年代のジャガイモ飢饉の影響もあり、アイルランドに住むアイルランド人よりも、アメリカ、英国、オーストラリアなど外国に住むアイルランド系の人々の方が多いという移住者の国である。ダブリンの国立図書館を訪問した際に、外国からの閲覧希望者の窓口が2つあって、一般の外国人と自分たちの先祖について調べに北アメリカ人向けの窓口に分かれていたことを思い出す。そういう経緯があるからこそ、移住は歴史の一部として記憶され、移住についての映画が繰り返し制作されるということではないか。国民としてのアイデンティティの形成にも様々な姿があるということについて考えさせられた。

(付記:8月14日の夜、オリンピックの女子マラソンの実況中継を見ていて、更新ができなかった。これからしばらく、1日遅れの状態が続きそうだが、あしからず。)
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