落語東西

8月7日(日)晴れ、暑し

 生まれたのは西日本であるが、育ったのは神奈川県である。大学は京都大学であったが、大体東日本で働いていた。「身は竹斎に似たるかな」で東と西を行き来している(とはいっても、本州の中央部をうろうろしていた、というだけのことかもしれない)。

 学校で授業をしている時に、本題だけを喋っていればよいのだが、時として、脱線することがある。自分の専門とする学問領域の話、自分の学生時代の思い出、趣味の話・・・ 少しは授業の内容と関係する場合もあるのだが、あまり関係がないことも少なくない。

 経験上、言えることだが、あまりしない方がいいのは:①自分があまりよく知らない話をする、②自分の趣味を押し付ける、③学生にとって差しさわりがある話をする ことである。自分と学生とでは趣味が違う場合もある(むしろその可能性の方が大きい)し、話の種類によっては、自分よりも学生の方が詳しい場合がある。いろいろな場合を想定する必要がある。授業を準備する過程では余談のことまで考えていないだろうから、余計に注意が必要である。

 自分が学生であったころの話で、ある先生が上方落語がお好きで、東京落語などよりも、上方の方がいいという話をされた。関東出身で、8代目の三笑亭可楽(その頃はすでに没していた)が好きだった私からすれば、聞き捨てならない雑談である。しかも、その理由をはっきりと語らずに、関西の言葉の方が柔らかだというようなことで話を締めくくられたように記憶する。

 東京の落語と上方落語のどちらかが好きかというのは趣味の問題である。どちらが好きでも構わない。私自身はというと、その後、ずいぶん上方落語も聞いたし、東京の落語も聞いたから、どちらがいいかというよりも、その中で誰が好きかとか、どの噺が好きかということの方が重要だと思っている。

 もし、上方落語が好きだということであれば、その理由として考えられるのは次のようなものであろう。1つは、上方落語の方が演者と観客の距離が近く、演者の愛想がいいということである。それ以上に上方落語は滑稽を旨とするが、東京落語は必ずしもそうではない、複雑なところがあるという違いがある。宇井無愁が『落語のみなもと』(中公新書)で書いているところによると、江戸時代に江戸では、奉行所から何度も落語(というよりも、その前身である落とし咄)の会や、寄席での興行の禁止令が出た。しかし町人たちは落とし咄を好み、とうとう文化13年にマジメな話に限って興行を許すというお触れが出た。
 「そもそもハナシカに「マジメな噺をせよ」とは、ない物ねだりの無理な注文。禁止に等しい。老獪な当局は、ていよくオトシバナシの自然消滅を胸算用していたのかもしれないが、民衆はそう都合よくあきらめはしなかった。以上くどくどと、禁止と潜行のいたちごっこをたどってきたのは、こうした政治事情が江戸落語の性格を決定し、屈折した話芸を作り上げたと考えるからである。
 まず周囲をはばかってはやし鳴物をひっこめ、素咄(すばなし)形式が定着した。人情咄や怪談咄などの「おかしくない落語」が主流を占め、世話講談との区別上、最後に「サゲ」をとってつけて、笑いに来た客への申しわけとした。よくしたもので、おかしくても笑わない客が落語の通とされるようになり、江戸っ子はニガ虫をかみつぶしたような顔で落語を聞くのが常であった。」(宇井、13-14ページ)

 明治大正になっても事情は変わらなかったが、落語の世界も世代交代が進み、円朝とか燕枝というような名人が没すると、笑いを求める観客は「おかしくない落語」に背を向け始め、そのことに危機感を抱く落語家が出現する。その筆頭が3代目の柳家小さんであり、彼は上方落語の中で、自分の芸風にあったネタを練り直して、高座にかけた。(宇井は触れていないが、3代目の弟子で、上方落語の『貧乏花見』を『長屋の花見』に作り替えた2代目の蝶花楼馬楽の存在も忘れてはならない。) それでも上方の二代目桂春団治と、東京の三代目柳家小さんの録音を聞き比べてみると、春団治がひたすら滑稽を追求しているのに対し、小さんは人情のような付加的な価値を探っているように思われる。

 上方落語を東京に移した「もう一人は大阪生まれの三代目円馬。うまい落語家ではなかったがネタ数を知っていて、東京落語家に教えて成功した例が多い。円馬エージェントを通してかなりの数の上方ネタが東京化され、現在も東京落語として演じられている。ネタの東西交流は常に上方出超の片貿易であった。江戸っ子の人情の流通県が狭く限られているのかもしれない。」(同上、15ページ)
 3代目の円馬が「うまい落語家ではなかった」という意見には異論があるかもしれない。8代目桂文楽と3代目三遊亭金馬という2人の実力者が3代目の円馬に傾倒していた。その3代目の金馬の弟子である故・桂小南は「なるほど、文楽、金馬両師は、芸風は違いましたが、咄の端々によく似ているところがありました。これは、おかしなもので、どうしても咄を教わった師匠に似るもんなんですね。
 さて、この円馬という人は名人といわれたそうで、それも後世の人がいうんですから間違いない。
 …この円馬師匠だけは、評論家先生からもお客様からも名人といわれたというから名実ともに実力があったんですね。」(小南『落語案内』、205-206ページ)と書いている。円馬の心酔者の1人が正岡容でその弟子で落語家になったのが、これも故人になった桂米朝である。だから、とにかく、影響力は大きかった。
 それでこの文章の趣旨とも関連して、書き落とせないのが、3代目の円馬は東京落語と上方落語の両方を演じた落語史上唯一の人物だということである。宇井は片貿易と書いているが、先日、上方落語の桂福団治師匠が東京落語の「唐茄子屋政談」を上方風に「南京屋政談」として演じたのを聞いたところで、最近では東京から上方への移植も行われているようである。

 それで、歴史的に見れば、東京落語は上方落語から多くのネタを受け入れることで現代の落語として発展したので、だから上方落語の存在は大きいということはできる。しかし、これは上方落語の方が好きだという理由にはなりにくい。むしろ、両者で描かれている生活や人情の違いから、上方落語の方が好きだというのは筋が通っている。例えば、先にあげた「貧乏花見」と『長屋の花見』については、先日亡くなった永六輔さんが「東京の『長屋の花見』が、大家の発案で店子連中しぶしぶ出かけるのに対し、『貧乏花見』は朝の雨がやんで仕事に出そこなって、身をもてあましていた店子たちの相談がまとまって、いわば自発的に出かける。大家が顔を出さないあたりが大阪的だ」(矢野誠一『落語手帖』、201ページに引用)と述べているが、この点とか、『貧乏花見』は女性もつれていくが、『長屋の花見』は男性だけだというような点とかに着目して、上方落語の方が好きだ(逆に東京落語の方が好きだ)というのは議論としての説得力がある。

 さて、宇井無愁は東京の落語家について、「高座に上ってもニコリともせず、ニガ虫をかみつぶしたような顔でまくし立てて下りてしまうのが、戦前までの東京落語家の一般的気風で、これを江戸前といった。昭和39年に死んだ八代目可楽が最後の見本だが、客の存在など眼中になく、客との交流を避ける傾向があったのも、禁令の余風だろうか。
 彼らに多少ともサービス精神が見えてきたのは戦後、ラジオの民間放送開始以後である。独自の出ばやしも使うようになった。マスコミのおかげで収入が増え、芸よりは知名度が収入に影響する時代になって、かれらも「顔を売る」必要を感じだしたらしい。」(宇井、15ページ)とも述べている。8代目の可楽にしても、私が聞くようになったのは文化放送の専属になってからで、それによってご本人の性格も芸もそれまでと変わって明るくなったといわれているし、私の記憶する限りで、愛想を振りまくというところまではいかなかったが、それなりに客のご機嫌をうかがうことはしていたように思う。宇井は「まくし立て」ると書いているが、確かに8代目は早口であったが、まくし立てるという感じではなかった。

 東京の落語家たちは宇井が指摘するように、ラジオの民間放送開始以後(ちょうど先代の林家三平が人気を集め始めるころであったが)、だんだんサービス精神を表に出すようになった。私が大学で上方落語の方がいいという雑談に憤慨したころというのは、東京落語はまだ昭和の名人たちが存命で、若手も伸びてきていたが、上方は四本柱と呼ばれた松鶴、米朝、春団治、小文枝(後に文枝)が再興に奮闘している時期で、勢いは明らかに東京の方にあった。それでも可朝、仁鶴、三枝というような若手が台頭し、落語家の頭数がそろってくると、その分、芸の個性化、多様化も進むことになった。それ以前からも、その以後も、東京と上方は互いに交流し、影響しあい、そこから、それぞれが変わっていき、新しい展開がみられたのである。

 だからあまり手前勝手で身びいきな東京落語、上方落語の礼賛論は願い下げである。東京にも上方にも好きな落語家はいるし、それぞれに好きな咄もあるのだが、やはりどちらかというと、東京風の屈折した滑稽感の方が私は好きである。そういう滑稽感が理解できないという人もいるかもしれないが、理解できないという理由で、不当な評価を下すのはやめてほしい。それは落語に限ったことではない。 
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