ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(32-2)

8月1日(月)晴れたり曇ったり、蒸し暑し。

 煉獄山の頂上にある地上楽園に達したダンテは、約10年前に『新生』で彼女への愛をうたったベアトリーチェが天上から降臨してきたのに出会う。ベアトリーチェはダンテが彼女の死後、神の道から外れていたことを責める。周囲の人々がとりなす中で、ダンテは痛悔し、気を失っているうちに、地上楽園で最初に出会った貴婦人に曳かれてレーテ川を渡り、目を覚ますとベアトリーチェのもとに連れていかれる。対神徳を表す3人の貴婦人の願いを聞き入れたベアトリーチェは、初めてダンテの目の前で、その素顔をあらわし、微笑みかける。
 ベアトリーチェを中心とする行列は、ダンテとスターティウスを従え、北に向かい善悪を知る知恵の木のところにやってくる。(ローマ時代の詩人スターティウスは煉獄でその罪を清めて天国に向かう途中、ダンテと、今はリンボに戻ったその導き手であるローマ時代の大詩人ウェルギリウスに出会い、ウェルギリウスへの尊敬の気持から、2人に同行してきたのである。) 知恵の木は枯れていたが、ベアトリーチェとともに天上から降りてきた霊獣グリフォンが戦車の轅を木に結びつけると、枯れ木に生気が戻り、花が咲く。その時に聞いた音楽の妙なる調べを聴きながら、ダンテは眠ってしまう。

 眠っていたダンテは「起きなさい。何をしているの」(476ページ)という声を聞いて目覚める。彼の目を覚まさせたのは地上楽園に達した時にダンテが最初に会い、彼を曳いてレーテ川を渡った貴婦人であった。ダンテは、彼女にベアトリーチェはどこにいるのかと尋ねる。
すると彼女は、「あの方が新緑のもと、
木の根の上に座っているのをご覧なさい。

あの方を取り巻くお付の方々をご覧なさい。
他の方々はもっとさわやかな、もっと意義深い歌に包まれながら
グリフォンに続いて登っています」。
(478ページ)と答える。グリフォン(キリスト)と旧約、新約聖書は天上に帰るところだというのである。しかし、ダンテの関心はベアトリーチェに向けられている。
あの方はただ一人で貧しい大地の上に座っていらした。
二重の形態をもつ霊獣により結びつけられた
戦車の守護者としてそこに残されたかのように。
(478-479ページ) ダンテの視線の先には、普段の姿に戻ったベアトリーチェ(=神学)が座り、それを囲んで7つの徳を示す7人の貴婦人が彼女を守っていた。彼女たちは清貧を表す貧しい地面の上で、木に結ばれた戦車=教会を護って座っていたのである。これはまた、キリスト昇天後、啓示された真理が教会を守護することを表現しているのだという。

 ベアトリーチェはダンテに告げる:
「ここでそなたが森神である時は短いでしょう。
そしてそなたは私とともに終わりなく、
キリストもローマ人となっているあのローマの市民となるのです。

そうであるがゆえ、悪に生きる世に善なる貢献をなすため、
そなたは戦車に目を凝らしなさい。そして目撃したことを
向こうに帰った後で書き記すのです」。
(479-480ページ) 森神である=地上楽園にいる時間は短いというのは、地上での幸福は短く、天国は永遠であることを表すものだという。「あのローマ」というのは天国のことで、その市民になるということは天国に行くことである。そして戦車を見て、そこで起きることを、地上の生活に戻った際に預言するように命じたのである。

 ここで歌われていることを突き詰めていくと、地上での幸福の期間は短く、天国の至福は永遠であること、そして地上での生は天国の生を得るためにあるということであるが、このように地上<天国あるいは現世<来世という中世的な価値観がダンテを支配していたこともわかる。しかし、そうはいっても、ジャック・ルゴフが指摘するように、「煉獄」という聖書にはないはずの新しい世界を作り出して、現世における人生の意味を考え直そうとするのは、人間の精神の一段前進した姿と考えるべきなのであろう。

 この後、ダンテは戦車=教会がどのような運命をたどるかを示す不思議な幻を見ることになるが、それはまた次回。 
 
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