ジェイン・オースティン『ノーサンガー・アビー』(3)

7月30日(土)晴れ、気温が上がる。

 イングランド南西部のウィルトシャーの教区牧師の娘である17歳のキャサリンは、村の大地主であるアレン夫妻とともに、保養地であるバースで過ごすことになる。長所は性格がいいこと、短所は小説好きで現実と空想の区別がつかなくなることであるキャサリンは、バースでの社交生活の中で素敵な男性に出会うことを夢見ていたが、その通りグロスターシャーの名門の出身で牧師であるヘンリー・ティルニーという男性に出会う。その一方、アレン夫人は学校時代の同窓であったソープ夫人と出会い、キャサリンは、ソープ夫人の長女で派手な美人であるイザベラと仲良くなる。キャサリンの兄のジェイムズとイザベラの兄のジョンがオックスフォードの同じカレッジに在学していて仲が良く、この2人がバースに現れたので、キャサリンとソープ家の親交は深まる。ジェイムズはイザベラに恋しているらしい。
 ヘンリーにはエリナーというイザベラとは対照的に清楚な感じの美しさを持つ妹がいて、キャサリンは彼女と仲良くなろうとするのだが、ジョンが嘘をついてなかなか合わせようとしない。ジョンはキャサリンに惹かれているようなのだが、それを遠回しにしか言わないので、キャサリンは気づかない。ティルニー兄妹と散歩に出かけたキャサリンは、兄妹の趣味が自分と共通していること、かれらが自分よりも深い教養を持っていることに気付く。ジェイムズはイザベラに求婚し、両家の親もこの結婚に同意する。

 ティルニー将軍の家を訪問したキャサリンは、家の中のなぜかぎこちない雰囲気に失望してしまう。それでも翌日の夜の舞踏会でキャサリンはティルニー兄妹と楽しく時を過ごすことができる。この舞踏会には、ヘンリーとエリナー兄妹の兄で、海軍の将校であるティルニー大尉が休暇を利用して参加していた。大尉はやはり美男であったが、うぬぼれが強そうで、キャサリンは好感を持たない。大尉はダンスなど踊らないと公言しながら、同じく、(ジェイムズのことを考えると)踊る気分ではないといっていたイザベラとダンスを踊る。

 父母のもとに戻っていたジェイムズから2通目の手紙が届き、結婚にかかわる財産の贈与の規模が明らかになる。「現在モーランド氏は、年収約400ポンドの聖職禄を持っており、その贈与権も持っているのだが、息子ジェイムズが十分な年齢に達したら、その聖職禄を譲るというのである。これでモーランド家の収入はかなり減ることになるし、子どもはほかに9人もいることを考えると、これは決してケチくさい額ではない。その上、少なく見積もっても400ポンドの値打ちのある土地も、将来ジェイムズに譲るというのである。」(202ページ) しかし、この手紙を受け取ったイザベラはあまり喜ばない。キャサリンはそれが、結婚が遅れることへの不満なのだと思おうとした。(ソープ家の人々は、キャサリンの家を実際以上の大金持ちと考えているようであり、イザベラのジェイムズへの「愛情」もその誤解に裏付けられている。オースティンの後の作品『分別と多感』の登場人物の1人、エドワードが得た聖職禄は年収200ポンドであることを考えると、400ポンドというのは少ない額ではない。)

 キャサリンはアレン夫妻がバース滞在を当初予定していた6週間から8週間へと延ばすことが決まったときいて喜ぶ。ところが、それを告げようとエリナーに会うと、ティルニー家は来週の末にバースを去るといわれる。エリナーがほかに何か言いたそうにしているところに、ティルニー将軍が現れ、エリナーはキャサリンを一家の屋敷であるノーサンガー・アビーに招こうとしているのだという。(ここで、小説の表題である『ノーサンガー・アビー』が登場する。この表題は実は、オースティンの死後、兄ヘンリーの手で出版される際に、ヘンリーが命名したものであるが、小説の内容を考えると、なかなか巧みに選ばれている。屋敷の名前にアビーがつくと、その屋敷はもともと修道院であったことを示す。ヘンリーⅧ世が自分の都合でイングランドの教会をカトリックから離脱させたときに、修道院は廃止されたという歴史的な経緯がある。キャサリンはゴシック小説の愛読者であるが、そのゴシック小説の舞台として荒れ果てた修道院がしばしば登場するよしである。) キャサリンは、すぐに両親に手紙を書き、訪問の承諾を得ようとする。

 久々にキャサリンに会ったイザベラは兄のジョンがキャサリンに求婚したはずだというが、キャサリンは必死に否定する。2人が話しているところに、ティルニー大尉が通りかかり、イザベラと話し始める。キャサリンは不快に思うのだが、イザベラは気持ちをティルニー大尉に移しているようなのである。このことにはジェイムズも気づいて悩んでいる様子であり、キャサリンは思い切ってヘンリーに、彼の兄の大尉にイザベラの婚約のことを知らせ、手を引くように言ってほしいと頼む。ヘンリーは、兄には兄の考えがあって、自分の言うことなど聞きそうもないし、かりそめの恋ならばすぐに終わるといって取り合わない。いよいよ、キャサリンがティルニー家の人々に同行して、ノーサンガー・アビーに旅立つ日がやってきて、キャサリンとイザベラは必ず手紙を書くと約束しながら、別れを告げる(その通り、キャサリンは手紙を書くが、イザベラは約束を守らない)。

 これまで紹介してきたあらすじからも、キャサリンが他人の発言をそのまま受け入れる(何か底意や仄めかしがあるとは考えない)タイプの人間であることが分かると思う。イザベラ(とジョン)は平気でうそをついたり、その場をごまかしたり、首尾一貫しない発言を繰り返す。ヘンリー(とエリナー)は世の中には平気でうそをつく人がいることが分かる程度に、世故に長けている。これはネタバレになるから書かない方がいいのだが、キャサリンやイザベラと比べてエリナーが一番苦しい恋をしているのである。それを一向に表に出さないところが、やたらと自分の恋について話して、自分を見失いかけているイザベラとは対照的なところである。

 野上弥生子が夏目漱石に小説を書く際に手本とすべき書物を推薦してもらった際に、漱石は19世紀英国の女流作家であるシャーロット・ブロンテやジョージ・エリオットの作品と並んで、オースティンの作品を読めと勧めたそうである。より新しい時代の流行作家ではなくて、既に評価が定まった作品を勧めているところに漱石の見識がうかがわれる。漱石がオースティンをどのように読み、理解していたのかは私の知るところではないが、キャサリンのように発言をまっすぐにとらえ、嘘をつかない生き方をする人間に好意を寄せていたことは確かである。(『朝日』の連載ではまだそこまでいかないが、『猫』で独仙が雪江さんの学校にやってきて講演する「馬鹿竹」の話などはその一例である。) 
 その一方で、キャサリンの小説の読みすぎや空想癖についてはどのような見方をしていたのだろうか。そういえば、先日、「まいにちスペイン語」の時間を聞くとはなしに聞いていたら、夏目漱石が(もちろん英訳で)『ドン・キホーテ』を読んでいたという話が出てきた。これから、キャサリンの<ノーサンガー・アビー>での、ゴシック小説の中の出来事と自分の経験とをごちゃまぜにする経験が展開されることになるが、その話は次回(あまり連載を続けると、ネタバレになってしまうので、あと1回で終えるつもりである)。
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