ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(32-1)

7月25日(月)曇り

 煉獄山の頂点にある地上楽園に達したダンテは、10年前にこの世を去ったベアトリーチェが天国から出向いてきたのに出会う。彼女は、自分の死後に、ダンテが神の道を踏み外して誤った思想のもとに活動していたことを責める。彼女の近くにいる天井の貴婦人たちのとりなしもあって、彼は楽園を流れるレーテの川の水を飲み、これまでの罪を払われる。そして、それまで面紗に隠されていたベアトリーチェの素顔と微笑を見る。

わが両目は十年の渇きを癒す味わいに
あまりにも強く集中して夢中になり、
他のすべての感覚は消え去ってしまっていた。

そして両目は両側を無関心の壁に
遮られているかのようになり、聖なる微笑みは
古の網でこれほどまでに目を自らのもとに誘い込んでいた。
(470ページ) ダンテはベアトリーチェの微笑を見つめすぎ、対神徳を象徴する3人の貴婦人たちから見つめすぎないように言われ、力ずくで視線をそらされる。その時、すでに彼は太陽を見つめすぎた時のように、一時的にものが見えなくなっていた。ベアトリーチェの微笑は中世の文学の主な主題の1つである宮廷恋愛の愛を表現する<あこがれの微笑み>が神の愛に替えられたものであると翻訳者である原基晶さんは解説している。ここで言われているのは、神の光を直接見すぎてはならず、教会の神学的徳に従うべきだということである。

 視力を回復したダンテは、神秘の行列が7つの燭台を先頭に太陽に方角に戻ろうとしているのを見る。原さんの解説によると、これは24人の長老=旧約聖書、グリフォン=キリスト、霊獣やその他の人々=新約聖書、つまり神の言葉が人類に与えられ、神と人類の間に平和が戻り、歴史が神の国の到来に向けて動き出したことを表す。ダンテ達も、車輪の脇の七貴婦人の傍で歩き出した。
私を渡河させたかの美しい貴婦人と、
スタティウスと私は轍が小さな弧を描いているほうの
車輪についていった。
(472ページ) 

 そのあとでベアトリーチェが地面に降り、行列は背の高い枯れた知恵の木を囲み、「アダム」と叫んだ。それは、アダムの犯した原罪で木の葉がすべて落ちた、つまり人類の生命が失われたことの嘆きである。旧約・創世記(2.17)で神がその実を食べることを禁止した知恵の木について
その木の梢は、上に行けば行くほど
大きく広がり、インドの人々も
その高さゆえに彼らの森の中であっても驚き見たであろう。
(474ページ) ここでインドが出てくるのは、喬木の産地として古くから地中海地方の人々に知られていたからであると壽岳文章は注記している。(もちろん、ダンテはインドに出かけたことはないのである。私もない。)

 そしてグリフォンがその木の実を食べないことをほめると、グリフォンは「かくいたせば(甘い知恵の木の身を食べなければ)、あらゆる正義の出る種は保たれよう」(474ページ)と叫んだ。
それから霊獣は引いていた棍棒に戻ると
寡婦のように葉が失われた木の根元までそれを引いていき、
その木から生まれた棍棒を元の木に繋いだままにした。

大いなる光と空の魚に続いて輝く星座とが
交じり合いながら落ちる季節に、
私達のいる現世の木々が

瑞々しくふくらみ、その後、次の星のもとに太陽が
馬を繋ぐ前に、
それぞれ色を新たにするのと同じように、

薔薇よりも薄く菫よりも濃い色で
花開きながらその木は新生したのだ。
前には何もない枝だけだったのが。
(474-475ページ) グリフォンが戦車の棍棒を知恵の木に結びつけると、木には緋色の花が再び生い茂った。「大いなる光」は太陽、「空の魚」はうお座、「続いて輝く星座」は牡羊座である。牡羊座に「大いなる光」、つまり太陽が落ちる時期は3月21日から4月20日までである。(ダンテが地上楽園に到達したのは1300年4月13日のこととされている。) 知恵の木の再生は人類に死をもたらした知恵の木が十字架となって、人類と神の間に再び絆を結ばせたことを意味する。
 この時、そこに居合わせた人々は賛美歌を歌い、それを聴きながらダンテは眠ってしまう。
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