日記抄(7月15日~21日)

7月21日(木)雨

 7月15日から本日までの間に経験したこと、考えたことなど:
7月15日
 神保町シアターで「恋する女優 芦川いづみ アンコール&リクエスト」特集上映から『男と男の生きる街』(1961、舛田利雄監督)と『硝子のジョニー 野獣のように見えて」(1962、蔵原惟繕監督)を見る。
 『男と男の生きる街』は舛田と熊井啓が脚本を書いている。事件記者の岩崎(石原裕次郎)は大阪のアパートで起きた殺人事件を調べるうち、事件が過去に起きた密輸事件とつながりがあるのではないかと考えるようになる。刑事だった彼の父は、若い北川刑事(加藤武)とともに事件を追っていたのだが、銃撃戦で命を落とした。功を焦って暴走しがちな北川を岩崎の父は止めていたのだが、そのことで恨まれていたかもしれず、岩崎は北川への疑いを捨て去ることはできない。一方、岩崎の姉(南田洋子)は北側と結婚しようと考えている…。命を落としたのは一時画壇で注目されていた画家で、パリに留学した後行方不明になっていたが、帰国したという噂もあったという。彼の周辺には謎の女(渡辺美佐子)の姿が見え隠れする。芦川いづみは京都の西陣で働いている、画家の妹の役を演じているが、物語の実質的なヒロインは渡辺美佐子である。この後、テレビの『三匹の侍』で人気を得る長門勇が脇役で出ていたのが目を引いた。

 『硝子のジョニー 野獣のように見えて』はアイ・ジョージのヒット曲に基づいた作品で、北海道が舞台である。漁師だった父親が外国に抑留された娘(芦川いづみ)は、人買い(アイ・ジョージ)に売られるが、脱走し、競輪の予想屋(宍戸錠)と一緒になる。予想屋は、若い競輪の選手(平田大三郎)に期待をかけているのだが、選手の方はそれを負担に感じている。人買いは執拗に芦川の行方を追いかけてくる。アイ・ジョージが何かというと「さよか~」というのが耳にこびりついてくる。この後、『肉体の門』でも発揮される宍戸錠の筋骨たくましい肉体の魅力が「野獣のように見え」る。芦川の代表作とされる一方で、フェリーニの名作『道』との類似性が指摘されてきた作品である。そういえば、昔、カラオケで『硝子のジョニー』を歌ったら、画面にこの映画の一部が使われているのに気づいたことがあった。今はどうだろうか?

7月16日
 ニッパツ三ツ沢球技場でプレナスなでしこリーグカップ2部の横浜FCシーガルズとちふれASエルフェン埼玉の試合を観戦した。前半1点を先行されたが、後半にセット・プレーから1点を奪って追いつき、1-1で引き分けた。

 同じくニッパツ三ツ沢球技場で横浜FC対ロアッソ熊本の試合を観戦する。これまた前半に1点を先行され、後半にPKの機会を得たのをイバ選手がきっちり決めて1-1で引き分けとなった。熊本の選手の勝利への執念と速い攻めに対し、横浜はなかなか自分のペースをつかめず、後半に熊本が退場者を出して1人多くなった有利さを生かしきれなかった。モロッコ出身の大型FWイバ選手はチームにも日本のサッカーにも十分になじんでいない感じがするが、それでも頼りにせざるを得ないのが問題である。

7月17日
 NHKラジオ「攻略!英語リスニング」は”Nero"を取り上げた。
It was said that when a great fire broke out in Rome, Nero, who had very un-emperor-like ambitions to be a poet, actor, and musician, stood on the rooftop watching the flames spread while playing music.
(話によれば、ローマで大火事が起きた時に、ネロは、ちなみに非常に皇帝らしくない、詩人や俳優や音楽家になりたいという野心を持っていたのであるが、屋根の上に登って楽器を演奏しながら、炎が広がるのを見ていたという。)
 講師の柴原さんが書いているところでは、ネロは円形劇場の出口を封鎖して、観客に自分の詩の朗読などを無理やり聞かせたといわれている(まるで落語の「寝床」である)。その程度ならご愛敬であるが、自分に反逆する意思があると思った人物を弾圧し、その多くを死に追いやった。こうなると宮廷や元老院の人々は落ち着いていられなくなり、とうとう元老院から死刑を宣告されて、自殺する。ローマの皇帝で自殺したのはネロだけのようである。
His last words: What an artist dies in me.
彼の最後の言葉:「なんと偉大な芸術家が失われることか」
番組では英語で紹介していたが、もともとはラテン語でQualis artifex pereo!
といったそうだ。これはスエトニウスの『ローマ皇帝伝』に記されている言葉だという。
 柴原さんは、ネロの芸術的な才能についてタキトゥスが酷評していると述べていたが、その際に彼を「ネロの同時代人」といったのは間違いで、タキトゥスは五賢帝時代の人である。(スエトニウスも五賢帝時代の人である。)

 Eテレの「日本の話芸」で桂福団治師匠の「南京屋政談」を視聴する。東京で「唐茄子屋政談」として演じられている噺を、上方の話にアレンジしたものだそうである。今は亡き古今亭志ん朝師匠にずいぶん習いましたと語っていたが、そのまた父親の五代目古今亭志ん生が得意とした話であった。船場の大店の若旦那が道楽が過ぎて勘当になり、食うに困って身投げをしようかと思っていると、叔父に助けられる。そして、天秤棒を担いでかぼちゃを売り歩く行商をさせられるが、食うに困っている後家さんに出会って売り上げを渡す。後家は、受け取れないと追いかけて出たのだが、彼女が住んでいる長屋の主が因業な奴でその金を取り上げてしまう… かぼちゃの呼び方が上方風になったところ以外は、あまり東京の落語と変わらないようにも思うのだが、これからだんだんと練り上げられていくことを期待しよう。

7月18日
 『朝日新聞』の朝刊が「今こそ ヴォルテール」と、「人間の理性の力」を信じ、多様性への寛容を説いた18世紀フランスの思想家について取り上げていた。アダム・スミスの『国富論』の翻訳者として知られる竹内謙二は、スミスがフランスの思想家から受けた影響についても詳しく研究した人物であるが、ヴォルテールとルソーが反目し、対立しあいながらも「呉越同舟してフランス革命に向かう」道筋をつけたと論じていたのを思い出す。

7月19日
 荒川洋平『日本語という外国語』(ちくま新書)を読み終える。今月は、読み終えた本が少ないのが問題である。

 NHKラジオ「入門ビジネス英語」に
I'm sure someday you'll have a female prime minister in Japan.
(日本にもいつか必ず女性の首相が誕生すると思います。)
という発言が登場していたが、いつのことになるだろうか。私が生きているうちに実現するかどうか、かなり微妙なところではないかと思う。

7月20日
 大橋巨泉さんが亡くなられる。永六輔さんが亡くなられたばかりで、連続して訃報を聞くことになった。テレビ番組を「作り出して」きた世代の人たちが亡くなり、テレビが既にそこにあった世代の人々の時代も終わりかけ、テレビに飽きた世代が登場してきている。

7月21日
 NHKラジオ「実践ビジネス英語」の”Quote...Unquote"のコーナーで紹介された言葉:
Creativity is not the finding of a thing, but the making something out of it after it is found.
----James Russell Lowell
(U.S. poet, critic, editor and diplomat, 1819 - 1891 )
(創造性とは何かを見つけることではなく、見つけたものから何かを生み出すことだ。)
 ジェームズ・ラッセル・ローウェルはアメリカのロマン主義を代表する詩人で、ハーヴァード大学と縁の深いニューイングランドの名門ローウェル一族の一人であり、ハーヴァードの近代語の教授となったが、「研究などというものは、古切手の蒐集と同じことで、無意味だ」(潮木守一『アメリカの大学』、250ページ)とうそぶき、1870年の国勢調査の際には自分の職業を大学の教授ではなく、詩人と記したという。このブログでも何度か登場した明治時代の日本を旅行し、その後火星の研究に従事したパーシヴァル・ローウェルとは、パーシヴァルの父親の従兄弟という関係である。

 ジェイン・オースティン『ノーサンガー・アビー』(ちくま文庫)を読み終える。
 
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR