ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(31-2)

7月10日(日)晴れ

 地球の南半球にそびえる煉獄山の頂上にある地上楽園に達したダンテは、「暗い森」の中をさまよっていた彼を救い出し、地獄、煉獄、天国を遍歴する旅へと導こうとしたベアトリーチェに出会う。彼は、10年ほど前に、詩文集『新生』の中で彼女への愛と、それが神への愛に昇華した経緯をうたい上げたのであった。しかし、ベアトリーチェは彼女の死後、ダンテが神への信仰の道から外れ、地上の様々な事柄に心を動かしたことを厳しく糾弾する。「流す涙の粒はどこかにおいて聞くがよい。」(460ページ) ダンテはベアトリーチェ異常に美しい存在に出会ったのだろうか。ベアトリーチェは、『新生』以後のダンテの文学生活における思想的な迷いを厳しく指摘する(これはダンテ自身の自己批判である)。

ちょうど少年達が恥じ入りながら黙り込み、
地面を見ながら立ったままで話を聞き、
己の間違いを知り反省する、

私もそのようにしていた。
(462ページ) すると、ベアトリーチェは、糾弾の言葉を聞くだけでは十分ではないと、自分の姿をしっかりとみるように言い渡す。彼女の言葉遣いに「毒」を感じ他ダンテは、いやいやながら、顔を上げる。もはや天使は花を振りまいてはおらず、
そして私の光る瞳は、いまだ視界がはっきりとはしていなかったが、
二種の生物の中に一つの位格を持つ霊獣に
まっすぐ向いているベアトリーチェを見た。
(463ページ) 霊獣とは、鷲の頭の下にライオンの胴体がついているグリフォンであり、人性と神性が一つの位格(ペルソナ)=子の中にあるキリストを表していると、傍注に記されている。

 ダンテには目もくれず、グリフォンだけを見つめるベアトリーチェの姿はダンテが知っている生前の彼女の姿よりもさらに美しかった。
その場所で悔悛の刺草(いらくさ)が私を激しく刺したため、
あの方以外の全事物の中で、私を魅了し
愛を感じさせたものは、それだけ私の憎むべき敵となった。

激しい悔悟の念が私の心を襲い、
私は意識を失い倒れた。私がどうなってしまったかは、
私に原因を与えた方が知る。
(464ページ) ダンテは気を失ってしまう。

 気が付いた時、彼は横になっていて、上の方に地上楽園で彼が最初に出会った貴婦人の顔が見えた。彼女は「私につかまりなさい。私につかまりなさい。」(464ページ)という。ダンテは貴婦人によって彼と彼女の間を流れていた小川(レーテ川)の水中に運ばれていた。
彼女は私を喉まで水に浸していたのだった。
そして私を後ろに引きずりながら
軽々とまるで平底船のように水の面を滑っていた。
(464-465ページ) 

 そしてダンテが、小川の対岸に近づくと、「私を清めてください」という旧約聖書・詩篇の言葉が聞こえてくる。
美しい貴婦人は腕を広げた。
私の頭を抱いて私を沈め、
そのために私は水を飲むことになった。
(465ページ) 第28歌で説明されていたように、レーテ川とエウノエ川という地上楽園を流れる2つの川の水には、「人の罪の記憶を奪う力」(422ページ)があるのである。

それから私を引き上げると、濡れた私を
4人の美しい貴婦人が舞う中に置いた。
すると皆それぞれが腕をかざして私を隠した。
(466ページ) 4人の貴婦人は29歌で説明されたように人間の倫理に対応する4つの枢要徳:賢明、剛毅、中庸、正義を表している。4人がそれぞれ腕をかざしたのは、おそらく十字を作ったのであろうと翻訳者である原さんは注記している。こうして罪を払われたダンテは、レーテ川の対岸であるベアトリーチェ=神の恵みのいるほうへと渡った。(ただし、まだエウノエ川の水を飲んでいないので、彼の悔悛は完了していないのである。また、あと3人の対神徳を表す貴婦人がその役割を演じていないことも気を持たせるところである。)

 こうしてダンテは、ベアトリーチェの厳しい叱責の言葉を浴びながらも、天国を訪問するのにふさわしく、自分を作り直していくのである。ダンテが、ここで神の世界から目を離して地上世界に魂を奪われた自分を叱責していることは、きわめて中世的な価値観の反映といえるが、『地獄篇』、『煉獄篇』を通じて、彼が現実の世界を観察し、再現しようとするリアリズムの手法をもって、キリスト教の抽象的な理念を、具体的に描き出していることは、近代性の萌芽と考えるべきではないかと思うのである。
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