江戸時代の親孝行をめぐって

4月12日(金)晴れ

 NHKラジオ第二放送の「カルチャーラジオ 文学の世界」の4月から6月まで放送される「落語・講談に見る『親孝行』」の第2回「表彰された孝行者――江戸時代の親孝行」を聴く。講師は明星大学の勝又基さん、昨夜(4月11日)に聞き逃した講義の再放送である。

 日本の近代化について考えるとき、庶民の道徳についての意識が近代化につれてどのように変容したかを考えることは重要である。近世の道徳において重視された道徳的価値が「忠孝」であったとすれば、そのうちの孝について思想史的・社会史的にたどることはその貴重な手掛かりを与えるはずである。さらに日本の近世の道徳思想が東アジアの道徳思想と密接に関連しているとすれば、中国で重視されていた徳目である「孝」が日本ではどのように評価され、社会生活の中で生かされていたかは興味ある問題となるはずである。

 江戸時代になると、儒教というよりも、もっと広い意味での中国の思想の影響を受けて孝行者を表彰する動きが現れる。三名君といわれる岡山の池田光政、会津の保科正之、水戸の徳川光圀であるが、前者2人が孝行者を積極的に表彰している。徳川将軍では、徳治政治を目指した五代将軍綱吉が親孝行の表彰を行っている。

 綱吉が将軍であった1681(延宝9)年に諸国に巡検使が派遣され、駿河の国に派遣された巡検使は五郎右衛門という孝行者の噂を聞いたので、宿泊所に彼を呼び寄せて真相をただす。五郎右衛門は親が自分を可愛がって人並み以上に親孝行だと言っているのにすぎないと言って否定する。しかし土地の者が彼の親孝行を賞賛するので、巡検使は彼の名前を帳面に記載することにする。

 巡検使からの報告に基づいて勘定奉行の取り調べを受けた、五郎右衛門は自分が20年前にした親不孝の例を挙げて、自分は親不孝だというのだが、勘定奉行は20年も前の親不孝を覚えていること自体が親孝行の証拠であるとして、彼を親孝行だと判断する。こうして彼は手厚い褒賞を受けただけでなく、将軍への目通りを許されるなど破格の待遇を受ける。さらに彼の肖像画が描かれ、伝記が執筆される。

 このことと関連して思いだされるのは、明治・大正期の落語の速記を見ていると盛んに出逢うのが「陰徳」あるいは「陰徳家」という言葉であることである。陰徳とは人に知られない善行をいう。自分はいいことをしたと言いふらすことをよしとしない気持ちをたいていの人間はもっている――とわたしは思うが、どうだろうか。勝又さんの講義の中にも「孝行者というのはえてして謙虚なものです。『私は孝行をしたのだから表彰しろ』などというものはあまりいません」(22ページ)という個所がある。

 そして(中間の期間が空くのだが)寛政の改革期になると日本の孝行者をすべて集めてこれを本にまとめようという試みがなされ、『官刻講義録』50冊が1801(享和元)年に刊行される。さらにその続編が刊行される。儒教思想の下で孝行者が多いことは為政者の政治が成功を収めている証拠とされたので、諸藩は競って孝行者を表彰することになる。このように江戸時代と、現代とでは親孝行をめぐる意識にはかなりの違いがあったと今回の講義は結ばれていた。

 親孝行が勘定奉行の管轄になっていたというのが意外と言えば意外。こういうことは教えられなければ知ることのできない知識に属する。親に対する愛情を「孝行」というような他人の言葉で定義され、さらに表彰されることには江戸時代の人々でも違和感を感じたようである。権力が理想とする思想と、庶民の生活の中での気持ちのずれがどのように意識されたか、それがどのように解決されようとしたのか、あるいは問題のまま残ったのか、さらに次回以後の講義における解明を期待したいものである。
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