京都大学の歌

7月5日(火)曇り、一時雨

 京都大学には「九重に 花ぞ匀える」で始まる学歌(=校歌)がある。大学のホームページを見たら、入学式と卒業式にはこの歌を歌おうというようなことが書かれていた。そんなことを言われても、入学式の時にいきなり校歌が歌えるものではない(いきなりやっても大丈夫な大学は、早稲田大学だけであろう)。多分、今でも同じことをやっていると思うが、私が50年以上前に京大に入学したときは、入学式の前にガイダンスがあって、そこで合唱団による歌唱指導が行われた。その前に、女性の団員が1人前に出て、新入生に対する入部の勧誘をしたのだが、気の毒なほどにあがってしまって、何を言っているのかわからない状態であったことを思い出す。

 京都大学に関連する歌というと、一般になじみのあるのは「逍遥の歌(紅萌ゆる)」とか、「琵琶湖周航の歌(われは湖の子)」とか、「行春哀歌(静かに来たれ懐かしき)」あたりであるが、これらはすべて旧制第三高等学校の歌である。「琵琶湖周航の歌」は三高のボート部の歌であるが、山岳部の歌であった「雪山賛歌」もかなり広く知られている(ただし、歌詞が変わっている)。「逍遥の歌」の歌詞を順々に追っていくと、時々、輝くような詩句に出会うことがある。その輝きが好きである。昔、NHKラジオ第一放送で放送されていた「にっぽんのメロディー」で、「逍遥の歌」が流れた時、中西龍アナウンサーが昔の学生さん(厳密にいえば生徒なのだが)は難しい言葉をよく知っていたものですねえという感慨を漏らしていたのを思い出す。旧制高校に在学している十代の終わりごろというのは、難しい言葉を使いたがる年ごろであったということも影響しているようである。

 ところが「九重に」は旧制京都帝国大学の学歌として、昭和15(1940)年に制定されたものである。大学のホームページによると、その前年昭和天皇が下された「青少年学徒ニ給ハリタル勅語」にこたえる形で、水梨彌久という人が作詞し、下総皖一が作曲した。水梨がどういう人かは知らないが、下総(1898-1962)は東京音楽学校⇒東京芸大の先生で、童謡や全国のいろいろな学校の校歌を作曲した人として知られる。三高の生徒たちが作った歌に比べると、さすがに専門家だけのことがある重厚な歌曲である。(どうせなら、下総の先生であった信時潔に作曲してほしかったと、思っている…)

 戦後、新制京都大学が発足した後に、「光溢るる蒼空に」という「学生歌」が作られたそうだが、歌ったことはもちろん、聞いたこともない。それに比べると「新生の息吹に満ちて」という応援歌の方は、自分でも歌ったし、卒業後何度も聞くことになった。アメリカン・フットボールの試合でタッチダウンを取ったときに歌う歌になったからである。国立競技場にライス・ボウルを見に行ったのはもう30年ほど昔の話である。あのころに比べると、京都大学のアメ=フトは弱くなったものである。大学のホームページには出ていないが、学生運動の中で歌われた「京大反戦自由の歌」というのがあって、私の先輩の世代の方々、映画監督の森崎東さんなどは好んで歌われるようだし、鉄道ライターの種村直樹さんも著書の中でこの歌に触れられているが、私の世代以後になると、やや評価が変わってきているように思う。

 学生のころ、研究室のコンパもいよいよ終わろうかという頃になると、都合のいいことに、メンバーの中に応援団の団員がいて、彼が音頭を取り、教授、助教授、助手、院生、学生の別なく肩を組んで「琵琶湖周航の歌」、「逍遥の歌」そして学歌を歌う。音頭を取っていた男は、その後、猛勉強して公務員試験に合格し、ある官庁の幹部職員となった。一緒に肩を組んで歌ったあの男は、あの男は…と思いは尽きない(女子学生は少なかったのである)。

 学歌はさておいて、やはり京都大学の歌というと、「逍遥の歌」であろう。佐藤愛子さんのエッセーを読むと、気分を晴らすために「都の西北」をうたうという話が出てきて、その父親である佐藤紅緑の代表作『ああ玉杯に花受けて』の主人公は、一高寮歌『ああ玉杯に花受けて』をうたって自分を励ますのだが、そういう場合に、私ならば歌うのは「逍遥の歌」である。当り前じゃないか。
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