第二外国語

7月4日(月)晴れ、暑し

 20年以上昔、大学に勤めていたころに書いたメモが出てきた:
 ○月○日の教授会で、今年度△学部に入学した学生の英語以外の外国語科目の履修の割り振りが発表された。〔それまではこういう情報は伝わってこなかったので、教養部廃止を視野に入れてのことであったと推測される。〕 入学決定者に対して行った履修希望の調査に基づいて、割り振り定員との兼ね合いで調整した結果である。
 それによると、全体としての希望者数は、ドイツ語255人、フランス語108人、中国語95人、ロシア語39人、朝鮮語5人の順であったが、割り振り定員はというと、ドイツ語330人、フランス語40人、中国語80人、ロシア語80人、朝鮮語40人で、ドイツ語、ロシア語、朝鮮語の希望者が割り振りを下回り、フランス語と中国語が上回っている。結局、第2志望までの枠内で調整をして、ドイツ語313人、中国語80人、ロシア語60人、フランス語40人、朝鮮語9人という割り振りに落ち着いた学部の新入生数は502人)。

 その当時と現在とではかなり履修状況は変化していると思うし、していないと困るのだが、ここで重要なのは、学生の希望よりも、教師側の都合によって第2外国語の履修が決められていることである。私が大学に入学したのは、それよりさらに30年近く前のことであったし、大学も違うから単純に比較はできないが、第2外国語をドイツ語にするものが7割ほど、フランス語にするものが3割ほどで、それ以外の言語を履修しても、進級に必要な単位とは認められなかったし、大学院の入試科目も(英語以外は)この2つだけであった。だから大学の第2外国語というのはドイツ語というのが大勢である状態が戦後50年ほどは続いたことになる(戦前もそうだったから、もっと長くなる)。さらに言えば、地方の短大や高専では第2外国語としてドイツ語しか提供されていないというところも少なくなかったようである。

 いくつか問題があって、まず、何のために第二外国語を学ぶのか、またなぜその第二外国語としてドイツ語を選ぶのかということである。日本が近代化を遂げる中で、ヨーロッパで急速な近代化に成功したドイツの経験を学んだことが大きな役割を果たしたという過去の経緯はあるが、それはあくまで過去の話である。現在のドイツは世界有数の経済力を持ち、また国際社会における発言力も強い国であるが、ドイツ人は英語が達者な人が多いので、ドイツの文化や社会、あるいはその伝統に特別な興味があるという人を除いては、ドイツ語を勉強する必要はない。1969年に出た種田輝豊『20か国語ペラペラ』の中に「現在の仕事では、翻訳以外、話すドイツ語はほとんど活用できない。国際会議では、ドイツ語の影はうすれている」(131ページ)と書かれている。この傾向はさらに進み、今では、学校外で人を集めてドイツ語を教えている人というのは、フランス語、スペイン語、あるいはイタリア語に比べてもかなり少ないように思われる。ドイツ語学習の需要は大きく減少してきたというのが事実であろう。

 さらに教えるほうにも問題があって、大学で同僚だったドイツ人の教師は、「日本ではドイツ語を、ヨーロッパの大学におけるラテン語のようなやり方で教えている」つまり「死語として教えている」と酷評していた。森鴎外は「二人の友」という文章の中で<二人の友>の1人=(熱心なドイツ語学習者である)福間博(後に旧制第一高等学校のドイツ語教師)のドイツ語には「漢学者の謂ふ和習」があると指摘したが、ドイツとの頻繁な交流もない中で、日本の国内で勝手にドイツ語の教授=学習を積み重ねた結果が「死語として教えている」ことである。

 成毛眞さんによると『日本人の9割に英語はいらない』そうである。だとすると、大学進学率を50%とみて、大学生の2割くらいしか、英語を勉強する必要はない(その代わり、満足な程度まで上達する必要がある)という計算になる(もっとも6月24日付の『朝日新聞』によると、日本の大学をはじめから信頼せずに、海外の大学を目指す若者が増えているというから、将来的には2割を割り込んでいくことは十分に予想できる)。とすると、第2外国語を学習するものはさらに少なく絞られることになる。あるいは<習得する>ことははじめから目的とせずに、ただ大学に進んだという形式を整えるために、英語なり、第2外国語なりを勉強するということであれば、それはそれで筋は通る。

 ある言語を<学習する>ことと<習得する>ことは別である。私はなぜか、マーク・トウェーンの禁煙することは簡単だという言明を思い出す。母語以外の言語を<学習する>ことは条件さえそろっていれば、それほど難しいことではない。<習得する>ことが難しいだけである。だから大学は<学習する>機会だけ提供すればいいので、<習得する>ことは学生の自己責任で行ってほしいと居直るのが賢明な態度であるのかもしれない。その場合、世界にはどのような言語があるのかについて学習者に知悉させることと、希望に応じた学習の機会を提供する親切さが必要であろう。
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