遠藤慶太『六国史――日本書紀に始まる古代の「正史」』(16)

6月28日(火)雨のち曇り

 <六国史(りっこくし)>は、奈良時代から平安時代にかけて天皇の命令を受けて国家の事業として編纂された6部の歴史書:『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』の総称である。歴史書には過去を知るために残す記録という役割のほかに、当代の人間が自分たちの職務を遂行する上で先行とする先例集という役割も生じた。平安中期以降、貴族社会の中で様々な家柄が形成され、それらの家柄によって職歴や昇進の経路が定まり、それぞれの専門の分野が固定してくる。そうなると、それぞれの家柄で、先例を伝えるために子孫に残す日記が書かれるようになり、包括的な歴史書の果たすべき役割が減少し、結局公の歴史書は編纂されなくなる。その一方で多様な<私撰国史>や歴史物語が書かれるようになる。
 鎌倉・室町時代を通じて<日本紀の家>としての地位を保ったのは卜部氏で、<六国史>、特に『日本書紀』「神代巻」の継承と解釈、その成果の講義を続けた。そこでは天照大神の本地を大日如来とするようなこの時代独自の解釈が含まれていた。これらの活動を通じて地位を高めた卜部氏吉田流は、吉田と家名を改め、公卿に列することとなった。
 室町時代の公卿である三條西実隆は『源氏物語』の研究の過程で、<六国史>の権威をも利用しようとし、その収集・書写に努め、その努力は子孫に継承された。

 江戸時代になると、出版文化が盛んになり、<六国史>もこの時代に出版された。そのような風潮の先駆けとなる事業を展開したのは徳川家康である。彼は日本の歴史にかかわる古典の書写を命じ、その中には<六国史>も含まれていた。そうして作成された写本は「慶長御写本」と呼ばれ、大部分は現存する。家康は教養として古典を重んじただけでなく、それらを幕府による法典整備の資料として活用した。さらに書写の過程で禁裏や公家から書物を借り出し、系統的に写本作業を行うことにも幕府の権威を示すという側面がある。家康が駿府に所蔵した書物の一部は、尾張徳川家に伝来し、現在は名古屋市蓬左文庫の中核をなしているが、その中に金沢文庫から伝わった『続日本紀』の現存する最古の写本が含まれている。

 家康は写本によって自分の蔵書の拡充を図っただけでなく、中国の書物である『群書治用』の出版を命じるなど、出版にも理解を見せた。このような彼の施策の実施に当たって中心的に活動したのが林羅山である。彼はそれまでの学問が貴族の家柄によって秘伝として独占されていたのに対し、広く民間に公開しようとした。家康が彼を登用したのも、そのような新しい姿勢を評価したからである。
 さらに宮中でも後陽成天皇は『日本書紀』「神代巻」の出版を計画され、朝鮮からもたらされた活版印刷の影響を受けた古活字版が刊行された。その後、民間でも出版事業が展開され、17世紀後半には散逸していた『日本後紀』を除いて、すべての<六国史>が出版され、流通するようになった。

 このような中で歴史への関心が高まり、水戸の藩主であった徳川光圀は『大日本史』の編纂を企て、学者を招聘して、各地で史料を収集させたが、『日本後紀』を発見することはできず、また『大日本史』も完成しなかった(最終的に完成したのは明治39年=1906年である)。
 『大日本史』の校正に従事したこともある塙保己一(1746-1821)は幕府に働きかけ、日本の古典を研究調査する専門機関である和学講談所を設立する。その事業の中で、40冊のうちの10冊だけであるが、散逸していた『日本後紀』が発見される。
 江戸時代の後期になると、国学者たちを中心に<六国史>の会読(一種の読書会)を行うことが盛んになる。

 明治政府は近代化を推進する一方で、王政復古の理念に基づいて過去の伝統の継承・復活を目指した。その中で歴史書の編纂も企てられるが、停滞し、1895年に帝国大学(現在の東大)に新たに「史料編纂掛」が設置される。そこでは『大日本史料』『大日本古文書』が編纂・刊行されるが、この事業には<六国史>を継承しようとする姿勢が顕著にみられるという。

 その後、政府により歴史書を編纂しようとする企てもあったが、頓挫し、<六国史>も民間の手で出版され続けてきた。「塙保己一以来、いよいよ国史を継ぐ者は民間である、といってよいのではあるまいか」(222ページ)と遠藤さんは本文を結んでいる。

 自分の興味にしたがって、詳しくなったり、粗っぽくなったりしながら、この書物の議論をたどるうち、16回になってしまった。それだけの読みごたえはあったのだが、この本の中でも触れられている坂本太郎の同名の書物程の格調の高さはないような気がする。坂本の著書も持っているので、探し出して、読み直してみようと思う。この書物の論述は時間の流れに沿って、①『日本書紀』の成立事情と意義、②その後の5部の歴史書の意義、③その継承と理解という3つの部分に分けられると思うが、①と②だけに限定して、<六国史>それぞれの内容と性格をより詳しく論じるほうがよかったのではないか、③については、また別の本にまとめていく方がよくわかるのではないかと思う。個人的な意見としては<六国史>よりも<四鏡>の方に興味があることに変わりはないし、<六国史>では『日本書紀』を読んだ(けがをして入院中に全巻読み通したのである)だけであるのに対し、<四鏡>は『今鏡』を残して、あとの3部は読んでいるので、やはりそちらの方を優先させたいなぁと思っているのである。
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