ジェームズ・ヒルトン『学校の殺人』

4月11日(木)晴れ、一時小雨がぱらついた

 ジェームズ・ヒルトン(James Hilton, 1900-54)の『学校の殺人』(Murder at School, 1932)を龍口直太郎訳の創元推理文庫版で読み直している。ヒルトンは『失われた地平線』(Lost Horizon, 1933),『鎧なき騎士』(Knight without Armour, 1933)、『チップス先生、さようなら』(Good-bye, Mr Chips)、『私たちは孤独ではない』(We Are Not Alone, 1937)、『心の旅路』(Random Harvest, 1941)、『朝の旅路』(Morning Journey, 1951)などの作品で知られる英国出身の作家で、1937年にアメリカに移住してカリフォルニアのロング・ビーチでこの世を去った。これらの作品の多く、特に『失われた地平線』と『チップス先生』は繰り返して、映画化されているのはご存知の方も多いだろう。

 『学校の殺人』は彼がまだ名声を得る前にグレン・トレヴァー名義で発表した彼のただ1作だけの長編推理小説である。ある学校で連続して起きた事件(殺人である可能性がある)をめぐり、その学校の卒業生である詩人が素人探偵として捜索に当たるうち、スコットランド・ヤードから本物の刑事が派遣されて捜索を始める。敏腕だが俗物的な校長、その片腕である人間的に面白みのないハウスマスター、彼の若く魅力的な妻、元軍人の明るいが乱暴なところのある学校つき神父、戦争で神経障害を起こした教師などが詩人の周辺に出没する。素人とプロの捜査の対立、犯人の意外性など推理小説としての骨格を十分に備えている。

 主人公である詩人のコリン・レヴェルはオックスフォード大学を卒業した後、就職することもなく親の遺産に頼って、新聞や雑誌に雑文を投稿しながら現在取り組んでいる長編叙事詩が日の目を見るのを待つ生活を送っていた。ある日、母校の校長から学校で起きた不可解な事件の捜索を頼まれる。レヴェルが大学時代に発揮した探偵としての手腕を覚えていた旧師から推薦されたというのである。3か月ほど前に、寄宿舎で寝ていた生徒の上に重いガス燈用具が落ちて即死してしまった。検死では事故死の評決がなされたが、その後生徒の奇妙な遺言状が発見された。レヴェルは学校の教師や生徒たちの間を調査して回る。

 学校つきの司祭であるダガットとの会話の中で、レヴェルは彼が学校に1915年から1918年まで在籍したと語っている。舞台となっているのはパブリック・スクールであるかどうかはきわめて疑わしいが、現在の校長になってから急速に評価を上げてきたオ―キングトンという学校である。実は1915年から1918年というのは作者であるヒルトンがリース(Leys)校に在学した期間と重なっている。ヒルトンが在学したことから、パブリック・スクールの教師の生涯を描いた『チップス先生、さようなら』のブルックフィールド校もリース校がモデルになっており、チップスはこの学校の教師であったバルガーニーがモデルであったと言われている。オ―キングトン校もブルックフィールド校もイングランド国教会(聖公会)の学校らしく描かれているのに対して、リース校は19世紀の後半に創立されたメソジストの学校であるとか、バルガーニーはギリシア語が専門であったのに対し、チップスはラテン語の教師として描かれているとか、ヒルトンが読者に分かりやすいように工夫しながら学校や教師を描写していることに注目すべきであろう。

 ところでこのリース校に1920年から1923年まで学んだ英文学者の池田潔(1903―1990)が戦後間もない時期に書いた『自由と規律』(1949)はイングランドのパブリック・スクールについての肯定的なイメージを日本に定着させるのに大きく役立った書物であるが、ヒルトンの『学校の殺人』はパブリック・スクールについてかなり否定的なイメージを描き出している。ただ、物語の終わり近く、レヴェルが事件の結末にもかかわらず、母校への愛情を確認することになっているのはいかにも英国らしい。この点は池田潔も書いているが、英国人は自分の感情を抑え、ときに皮肉や自嘲ともとれる表現をする。そのような感情の機微を理解する必要があるだろう。

 寄宿舎での事件は事故であったし、遺書は少年の気まぐれであったと結論して、レヴェルは学校を去る。ところが翌年の6月に(英国では6月は学年の終わりである)寄宿舎で死んだ少年の兄が学校のプールで水がないのにもかかわらず、飛び込んで死んでいるのが発見されたというニュースが飛び込む。レヴェルは慌てて母校に駆けつける。ハウスマスターのエリングトンは死んだ2人の少年の従兄であり他に身寄りがいない彼らの遺産は彼のものになるという。このことを彼に知らせた教師のランバーンは戦争中に受けた神経障害に加えてどうも謎めいた態度が気になる。校長の態度も不審である。

 卒業式、翌日の検死の後でレヴェルはロンドンに戻ろうとするが、学校にやって来たガスリー刑事から少年たちの後見人が事件の捜査を依頼し、兄の遺体を解剖した結果彼の死因が銃で撃たれたことによるものであることが判明したと告げる。レヴェルは学校に留まって警察の捜索に協力することになる。学校関係者が質問を受けるが、その捜索の途中でランバーンが死亡する。検死の結果睡眠薬の飲み過ぎということになり、警察の捜索は打ち切られてガスリーはロンドンに帰る。校長の臨時秘書となって学校に残ることになったレヴェルはノートに次のように書く:
「この事件で困った点は、あまりにも多くの部分が人のいったことばかりに依存していることだ。…あまりにも、ひとのことばが多すぎる。そして、独立した充分な証拠の発見がない」(212-213ページ、下線部は原文では傍点)。

 この小説がレヴェルの視点から展開されていて、読者が事件を客観的に分析することが難しくなっていることにも気づくべきであろう。このことを含めて、推理小説としての完成度がかなり高い作品であり、ヒルトンがこの他に長編推理小説を書かなかったことが惜しまれるのである。
 
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