ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄編』(30-2)

6月19日(日)晴れ後曇り後雨

 人生の「暗い森」をさまよっていたダンテは、天国の貴婦人であるベアトリーチェの依頼を受けたローマ黄金時代の大詩人ウェルギリウスに導かれ、地獄を通り抜け、地球の南半球にある高い山である煉獄山を登って、その頂上にある地上楽園に達した。煉獄山を登る途中で、ローマ白銀時代の詩人スタティウスが2人に合流していた。地上楽園で3人は美しい貴婦人に出会い、ここが人類が生まれて、その歴史の最初の時代を過ごし、その罪のために追放された場所であることを知らされる。
 貴婦人はダンテに彼がそれから出会うものに注意するように促し、彼の目の前に精霊からの7つの贈り物を表す7つの燭台の光を見る。それに続いて旧約聖書、新約聖書を擬人化した人々の行列が続き、イエス・キリストを表す霊獣グリフィンに牽かれた戦車が進んできて、止まった。そして、ダンテの目の前に、1人の貴婦人が降臨した。彼女はその顔を隠していたが、彼が昔、『新生』でその思いをうたい上げた女性であることがすぐにわかった。

これ以上ははっきりと目で確かめられなくとも、
あの方から発する神秘の力のために、
かつての古い愛の大いなる強さを感じた。
(445ページ)

 そして彼は、左側を向き、
恐怖を感じた時や心を痛めた時に
幼子が母親に助けを求める視線を向けて

ウェルギリウスに言おうとした、「ほんの幾許(いくばく)かの
血でさえ私の中で震えていないものはないのです。
かつての炎の現れが分かるのです」。
(446ページ) 傍注によると、これはウェルギリウスの『アエネーイス』の第4歌23行をそのままラテン語からイタリア語に翻訳したものだという。手元にある岡道男・高橋宏幸訳(京都大学学術出版会)によると「この方ただ一人だけが私の感覚をたわめ、よろめくばかりに心を/突き動かした。私にはわかる、これは昔の炎の名残。」(145ページ) どうも違いが大きいので、泉井久之助訳(岩波文庫)を見ると「わたしの心をゆるがせた、人はあの方ばかりです。/古い焔のあとかたが、胸にあるのを感じます。」(上巻、207ページ)となっている。これは、『アエネーイス』の主人公であるアエネアスが、トロイアの滅亡後、新しい安住の地を求めてさすらう途中で、恋に落ちたカルタゴの女王ディードーが、彼が去ったことを知っていうセリフである(詳しい状況を説明すると、話が長くなる)。翻訳者である原さんは、「ここでダンテが、「かつての炎の現れが分かるのです」と言おうとしたくだりは、尊敬するラテンの詩人へのオマージュとなっているだけでなく、多くの詩人の種火となり、ダンテに『神曲』を書かせることにもなったウェルギリウスとその作品に対して、世を照らした『炎』だったというダンテの評価を、文脈を離れて明らかにしている。そしてダンテはその炎を継いだのだ」(613ページ)と論じている。言葉だけ取り上げてみれば、そういう議論もできるだろうが、言葉が発せられている文脈を考えると、複雑な気分にさせられる。

だが、ウェルギリウスは私達を残して
立ち去っていた、ウェルギリウス、やさしい父は。
ウェルギリウス、救いを求めて私自身の身を託した方は。
(446ページ) 「私達」というのは、ダンテとスタティウスを指す。善良ではあったが異教徒であるウェルギリウスはそれ以上進むことを許されず、リンボに戻らなければならなかった。一方、生前、キリスト教信者であることを隠していた罪を煉獄で償ったスタティウスは、さらに天国まで進むことができる。

 彼の耳元に、貴婦人の声が聞こえる。
「ダンテ、ウェルギリウスが行ってしまったからといって、
まだ涙を流してはならぬ。まだ涙を流してはならぬ。
これとは別の剣によりお前は涙を流さねければならぬ」。
(447ページ) ウェルギリウスとの別れを悲しむダンテに対し、貴婦人は艦隊を指揮する海将さながらの態度で、ダンテに対し己の罪を悔悛しなければならないことを告げた。なお、傍注によれば、ダンテの全作品中で、自身の名を作品中に出すのはここだけだそうである。後に見るように、罪の赦しのための悔悛は、個人の責任のもとに行われるため、ここでその名を明らかにする必要があったという。

 神の知恵のアレゴリーである「ミネルヴァの枝」(=オリーヴの枝)によって締められた面紗がその顔を隠してはいたが、貴婦人は威風に満ちた態度で語り続けた。
「よいか、ここを見よ。よいか、私だ、よいか、私だ、ベアトリーチェだ。
なぜおまえはこの山を登る気になった。
おまえはここで至福に至ることを知らなかったか」。
(449ページ) ある時期のダンテが、人は自身の力だけで世界のすべてを知り、至福に至ることができると考えていたことを知っていた彼女は、なぜ彼が神の世界に足を踏み入れることになったかと追及する。

 『地獄篇』(47ページ)の傍注によると、ベアトリーチェという名は<恵みをもたらすもの>、つまり<神の恵み>を表し、作品中では神学のアレゴリーとなっている。この登場人物はフィレンツェの女池の娘ベアトリーチェ・ポルティナーリ(1266-90)と同一視され、彼女への恋愛感情がダンテの詩的原動力とされてきた。最初期の詩想の源は彼女であったかもしれないが、現在『神曲』については純粋に詩的な存在と考えられている。ベアトリーチェとの交流を詩と文章でつづった『新生』は彼の自伝的な作品と考えられてきたが、歴史的な事実と符合しない(つまり創作が交えられている)ことも確認されているそうである。

 ダンテの別世界への旅行を企画したのはベアトリーチェであったが、ダンテと出会った彼女は、彼が罪の悔悛を果たしていないことを責める。まことに厳しい態度である。
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