ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(30‐1)

6月12日(日)晴れ後曇り

 1300年の4月13日に、ダンテは彼を「暗い森」から救い出し、地獄と煉獄とを案内してきたローマ黄金時代の詩人ウェルギリウス、煉獄でその罪を償い終えて、2人に途中から合流したローマ白銀時代の詩人スタティウスとともに、地上楽園に達した。彼らはそこで、美しい貴婦人に出会い、この楽園が人類の祖先が創造され、その罪によって追放された場所であることを知る。そして彼らは神の世界から地上楽園へと降りてきた7つの燭台とそれに続く行列の到来を目撃する。行列は聖書の世界を示すものであり、その中心に1台の荘厳な戦車がグリフォンに引かれて進んでいた。戦車がダンテの目の前に来たときに、行列は止まり、新しい何かが起きることが予感された。

始原の空の七星、
没することなく、昇ることなく、
罪の覆い以外の霧にも曇らぬそれは、

あの場所で皆に己のすべきことを自覚させていた。
最下層の天空の七星が、港を目指して
舵を切る操舵手に指示を与えるごとく。

その七星が立ち止まった時、
グリフォンとその間を歩いていた正しき人々は、
彼らの平和があるその車に向かって振り向いた。
(442ページ) 「始原の空の七星」は第29歌で登場した7つの燭台のことである。7つの燭台は7つの恩寵(賢明、知性、忠告、剛毅、学問、慈愛、神への畏れ)を示し、それらは神の第3の位格である聖霊を意味する。そのため、「始原の空の七星」は「没することなく、昇ること」もない、つまり時間の存在しない永遠の神の在所である至高天を象徴しているという。
 この七星は、下界の七星(北斗七星)が操船の目印になっているように、人類の乗る船である歴史の進むべき目標となっている。そのため、この七星に率いられた行進は天地創造から最後の審判までの人類の歴史を書き記している聖書を象徴する。

 「グリフォンとその間を歩いていた正しき人々」は旧約聖書を象徴しているが、その中の1人が「来たれ、花嫁よ、レバノンから」(442ページ)と「雅歌」の1節を歌い(花嫁よ、レバノンからおいで/おいで、レバノンから出ておいで。「雅歌」4.8)、他の者がそれに唱和した。そして100体もの天使たちが姿を現した。
私はかつて見たことがあった、一日のはじまりに
東の方角が一面、薔薇色に染まり、
反対側の空は澄み切った美しさに飾られ、

やわらいだ太陽の顔が生まれ出るのを。
それゆえ目はその蒸気の覆いを通して
その顔を長い間見ていられた。

それと同じように、天使の腕から立ち上がっては
車中やその周辺に落ちていく
花が作る雲の中、

純白の面紗の上にオリーヴの冠を被った
貴婦人が私の前に降臨した。緑の外套の下に
鮮やかな炎の色の服をまとっていた。
(444-445ページ) ダンテは、その貴婦人の姿に見覚えがあった。

そして我が霊は、それまでの長い
年月がたつ間、あの方の前で畏怖に圧倒され、
慄(おのの)いたことはなかったが、

これ以上ははっきりと目で確かめられなくとも、
あの方から発する神秘の力のために、
かつての古い愛の大いなる強さを感じた。
(445ページ) 貴婦人は、ダンテが若いころに思慕の対象とし、死んだ後に天国にいる幻を見て、『新生』のヒロインとして描きだした女性であった。

かつて幼いころを脱する前の私に
深傷(ふかで)を負わせた至高の力が
視線を通じて私を射抜いた途端、

私は左側を向き、
恐怖を感じた時や心を痛めた時に
幼子が母親に助けを求める視線を向けて
(446ページ) 彼は、ウェルギリウスに話しかけ、その助けを得ようとした。しかし、ダンテに気付かれることなく、ウェルギリウスは姿を消し、彼がもといたリンボに戻っていた。ダンテは別れの悲しみに、涙を抑えることができなかった。

 『地獄篇』第1歌からずっとダンテを導いて来たウェルギリウスが、ここで姿を消す。ここから先は人間の努力だけで到達できる世界ではないのである。『煉獄篇』の終わりが近づいてきた。しかし、ダンテとこの叙事詩はさらに彼方を目指している。
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