すれ違いのダイアリーズ

6月3日(金)晴れ

 横浜シネマ・ジャックで『すれ違いのダイアリーズ』(2014、タイ、ニティワット・タラトーン監督)を見る。

 アマチュア・レスリングの選手だった過去の栄光はあるものの、なかなか就職できない青年ソーン(スクリット・ウィセットケーオ)はある小学校の水上分校の教師になる。タイの北部の山の中の湖の上にドラム缶を浮かせて、その上に材木で骨組みを組み、トタン屋根を載せた学校で、電気はなく(その後、発電機が届く)、水道もなく(貯水タンクがあるのだが、そこから水を出すのが一苦労であり、一騒動がある)、携帯電話は天気がよい時にはつながる(かもしれない)という大変な場所である。子どもたちは新しい先生が来たということを知らないから、学校にやってこない。学校備え付けのモーターボートを動かそうとして失敗したソーンは利き腕の右腕に大けがをする。それでもやっと子どもたちを集めたが、学年はバラバラで、それぞれの学習すべきことは違うし、授業に興味を持たず、教師にもなつかない。

 そんなある日、彼は前任の教師エーン(チャーマーン・ブンヤサック)が教室の中に置き忘れていた日記を見つける。そこには、彼と同じように学校の置かれている不便な状態にびっくりしながらも、子どもたちと向き合って、彼らを理解しようと奮闘している彼女のまいにちの姿が、都会の学校に勤めている野心的な教師とのなかなかお互いを理解し合えないまま続く遠距離恋愛の顛末とともに綴られていた。彼女の日記を読み、その経験に学びながら、ソーンは体当たりで子どもたちと接する。自分が都会で同棲していた恋人が新しい男性と付き合い始めたことを知り、水上学校での勤務と遠距離恋愛の両立の難しさを感じて、彼女への共感を深める。
 ソーンは学校に現れた毒蛇を必死で退治し、台風で破壊された校舎を先頭に立って修理する。子どもたちは週末に帰宅する以外は、水上の学校で生活をするのだが、次第次第にソーンになつく一方で、前任のエーンのことも忘れない。日記を通してエーンに惹かれるようになったソーンは彼女の行方を探し、彼女が水上学校を去ったのは結婚のためであったことを知る… ソーンが教師としての力不足を感じて勉強しなおそうと1年で水上学校をやめた後に、都会の学校での経験で傷つ記、またも恋人と別れたエーンがまた水上学校に戻ってきて、ソーンの仕事ぶりを知る。漁師である親の仕事を手伝うために学校を離れた少年を学校に戻らせようと、漁師の手伝いを買って出たりしたことが分かる。今度は、エーンがソーンに興味を持ち始める。そういうすれ違いが物語を構成する。恋愛喜劇であるし、教育について、教師について問いかける物語でもある。

 何よりもびっくりするのが、都会の学校では施設が整い、ITさえ導入されているというのに、水上学校では何から何まで手作業であるというその格差である。タイでは貧しい北部とバンコクを中心とする豊かな南部との対立があるといわれるが、その北部でも都会と山村とでは大きな格差があるようである。湖の魚を取って生計を立てる漁師として生きることを自分の未来であると思って疑わない子どもたちに算数(というより、数学といった方がいいと思われるのは、小学校高学年の段階で既に代数が教えられているからである)を学ぶことがどういう意味をもつのか、教師たちは説明を迫られる。

 小学校を卒業できない子どもの存在とか、新しい教育方法が先輩の教師や学校の周囲の大人たちに必ずしも理解されるわけではないとかいう問題は、フランスの教育家セレスタン・フレネの若いころの苦闘を描いた『みどりの学園』と共通するのだが、若き日のフレネが自分の教育実践を他の学校の教育実践との交流によってさらに大きな運動へと発展させようとしたのに対し、こちらは2人の教育実践から先に進む気配はない。水上分校の本校の校長が、はじめのうちは厳しいことをいっているのが、次第にエーンの能力に理解を示し、ソーンについても態度をやわらげるというように変化を見せる(一つには分校の教師をしようという人材が得難いこともあるのだろう)のと、エーンの恋人が口では彼女を理解する、自分を変えていくと言いながら、実際はあまり変化を見せないのが対照的であり、教育家というものの様々な類型について考えさせられる。

 恋愛劇として見た場合、エーンがどういう生き方を選ぶかが、最後まで分からず、観客の気をもませ、その意味でのサーヴィス精神もなかなかのものである。山奥の湖といっても、結構水が汚染されていることを知る一方で、霧にかすむ山の姿や星空にまだまだ残されている自然の豊かさを感じたりする。ソーンが、算数の問題に関連して、汽車を見たことがないという子どもたちに汽車とはどういうものか教えようとする場面は感動的である。ただ、その感動には留保をつけた方がよいのかもしれない。梅棹忠夫の名著『東南アジア紀行』に1961年に彼が2度目にタイを訪問した際に、バンコクからチェンマイへの移動に汽車を利用したことが記されている。今だったら、飛行機を利用するだろう。私は10年ほど前に1度だけタイに出かけたことがあるが、その時のバス・ツアーのガイドの説明では、汽車は時間どおりに運行されているとはいいがたいというような話だったと記憶する。だとすれば、算数の問題に汽車を引き合いに出すのは、時代遅れということかもしれず、その時代遅れにさらに遅れている子どもたちがいるという話なのかもしれないと改めて思った。この映画に描かれている出来事は、私がタイを訪問した時よりも、後に起きたことのはずなので、自分の貧弱な経験を交えて、さらにいろいろと考えさせられたのである。

 この映画は、6月4日から10日までは16時から17:50まで、11日から17日までは9:25から11:20までの時間帯に横浜シネマ・ジャックで上映されるので、ご都合のつく方は是非ご覧ください。私の論評に対する意見を含め、映画についてのご意見・ご感想をお知らせいただければ幸いである。
 
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