日記抄(5月27日~6月2日)

6月2日(木)晴れたり曇ったり

 5月27日から本日までの間に経験したこと、考えたこと、これまでの日記の補遺など:
 5月26日付の『朝日』によると、中学校3年生を対象として新しい英語のテストを実施し、<読む・書く・話す・聞く>の4技能を測定することになるというが、中学生が大人になった時に個々人としてどのくらい英語が必要になるとか、個々人としてどのような英語を身に着けるべきであるとか、共通に必要とされる英語の基礎というのはどのようなものかということを説明しないと、テストを実施して英語力を測定し、英語教育を「改善」しても、結局テストの成績が向上したというだけの結果になりかねない。テストができることには限界があるのだということを認識(説明)したうえで、できるだけ公正で透明性のあるテストを実施していく必要があるだろう。(一番目が当てられないのが、子どもたちが50代、60代になった時に、英語が中国語とか、ヒンディー語に取って代わられていて、英語ができても国際会議では隅に追いやられているということで、そういうことはまずないとは思うが、一応保険はかけておいた方がいい。)

5月27日
 NHkラジオ「実践ビジネス英語」の”Quote...Unquot"のコーナーで取り上げられた言葉:
A torn jacket is soon mended; but hard words bruise the heart of a child.
----Henry Wadworth Longfellow (U.S. poet and educator, 1807-82)
破れたジャケットはすぐにつくろえる。だが、きつい言葉は子供の心を傷つける。
(問題は、子どもには個性があって、どんな言葉に傷つくかは、子ども一人一人、その言葉を発する大人一人一人によって違うということではなかろうか。)

5月28日
 NHKラジオ「攻略!英語リスニング」では”Derby"(ダービー)を話題として取り上げた。
It's the horse race, one of the most prestigious horse races in the world. It's hold once a year, in early June, down in Surrey, at the Epsom Downs Racecourse.
(競馬、世界で最も格式のあるものに数えられる。年に一度、6月初めに、イングランド南部のサリーにあるエプソム競馬場で開催される。)
 ダービーという言葉はあちこちで聞かれる。
A Derby can refer to a great race anywhere in the world, but the original is this deerby, which was first held in 1780 and hosted by the Earl of Derby.
(世界中で行われている大きなレースを「ダービー」と呼ぶこともあるが、本家はこのダービーで、1780年にダービー伯爵によって初めて開催された。)
 このレースを始めたのは第12代のダービー伯だそうで、その後、14代目のダービー伯は19世紀後半に3度にわたり英国の首相を務めた。
 ダービーのコースはone mile, four furlongs, and ten yards (1マイル、4ハロン、10ヤード)だそうで、なぜそんな数字になったのかは番組では説明されなかった。マイル、ハロン、ヤードはそれぞれヤード・ポンド法の長さの単位で、メートル法にすると1マイルは1,609メートル、1ハロンは201.17メートル、1ヤードは0.9144メートルというのがだいたいのところだそうである。もっともハロンという単位は競馬以外ではあまり使われないようである。

 小林道正『世の中の真実がわかる「確率入門」 偶然を味方につける数学的思考力』(講談社ブルーバックス)を読み終える。あまりよく分からなかったのだが、最後に、「確率や統計の学習では、…実験結果と理論的計算結果を対比すると理解が深まるのです。/理論的な学習だけでは、何を求めているのかさえ分からなくなってしまうことが多いのです。たとえコンピューターを使った実験でも、実験してみることが大事なのです」(228ページ)と述べられているのが印象に残った。

5月29日
 『朝日』の地方欄に鎌倉アカデミアについての回想記事が出ていた。1946年から50年にかけて鎌倉で活動した個性豊かな高等教育機関である。出身者の名が列挙されていた中に、鈴木清順監督の名がなかったのは遺憾である。

5月30日 
 『朝日』の地方欄に、川崎市の麻生区一帯の義経伝説を取り上げた記事が出ていた。義経は奥州の藤原秀衡のもとにいたのが、兄である頼朝に合流しようとわずかな手勢を引き連れて南に向かう、この時に、内陸部の道を歩んだことを推測させる伝説である。
 (以下つけたし) 平家の追討軍を撃退して鎌倉に戻る途中で義経に遭った頼朝は、二人の先祖である八幡太郎義家が後三年の役で奥州に向かった際に、義家の弟の新羅三郎義光が都での職務をなげうって駆けつけた故事を引き合いに出して喜びを語る。このあたり、いろいろな解釈が可能で、歴史小説作家の腕の振るいどころだといえよう。

5月31日
 『朝日』によると、昭和の言論界にその博識と毒舌をもって君臨した大宅壮一の残した資料をもとに事業を展開している大宅壮一文庫の経営が苦しくなってきているそうである。うーん、寄付をしたいけれども金はなく、ボランティアで事業を手伝いたいけれどもしかるべき技能と時間はなしということで、勝手連的に支援を呼びかけるだけにしておく。

 田辺聖子『東海道中膝栗毛を旅しよう』(角川文庫)を読み終える。以前に講談社文庫から出版された際にも読んだ記憶がある。昨年の10月~12月にNHKカルチャーラジオで放送された『弥次さん喜多さんの膝栗毛』を聞いていたので、さらに理解が深まる。この本と、土田よしこさんのまんが、あるいはそのどちらかを読めば、『膝栗毛』についての一応の知識は得られ、原作を読む必要はなくなるのではないか。というよりも、原作を無理して読む必要はないと思うのである。それに田辺さんも再三にわたり指摘している、原作の猥雑さが、女性(田辺さんand/or土田さん)の目で見直されて、現代の常識の枠の中に引き戻されているからでもある。
 それにしても、滑稽道中とはいっても、『ドン・キホーテ』と『膝栗毛』とでは文学としての格が違うねぇとあらためて考えさせられている昨今ではある。

6月1日
 NHKラジオ「実践ビジネス英語」の”Quote...Unquote"のコーナーで紹介された言葉:
To buy books would be a good thing if we also could buy the time to read them. (from Counsels and Maxims)
         ――――Arthur Schopenhauer (German philosopher, 1788-1860)
(もし本を読む時間も買えるのなら、本を買うのはいいことだろう。)
最近は、時間だけではなく、本を置く空間も大事だという人が少なくない。本だけならいいが、保存しておく必要のある書類がバカにできないほど多い。
 「デカンショ節」の「デカンショ」はデカルト、カント、ショーペンハウアーだという俗説があるが、その哲学体系の中に宇宙論があるデカルト、カントと、自分の世界に閉じ籠りっぱなしのショーペンハウアーでは相撲の横綱と十両くらいの開きがあると私は思っている。

6月2日
 NHKラジオ『レベルアップ中国語』の「今日のつかみの一言」は「天羅地網」(tianluo diwang =水も漏らさぬ包囲網)であった。語学の教科書や、教育番組のなかにはミステリ仕立ての展開になっているものが時々見られるが、現在放送中の語学番組ではこの『レベルアップ中国語』と「まいにちフランス語」の初級編のストーリーがそれに該当するようである。『レベルアップ中国語』では張飛とか、呉用とか、中国の有名な小説の登場人物と同じ名前の人物が登場しているのが合わせて興味深い。
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