日記抄(5月20日~26日)

5月26日(木)曇り後晴れ、風強し

 5月20日から本日までに経験したこと、考えたことなど:
5月20日
 NHKラジオ「レベルアップ中国語」によると、中国の『全唐詩』には、日本人が書いた詩も収録されているという。その1つは熱心な仏教の信者であった奈良時代の政治家・長屋王が千の袈裟を作って中国の僧侶に送った際に、その袈裟に刺繍されていた
山川異域、風月同天。
寄諸仏子、共結来縁。
(山川域を異にすれども、風月、天を同じうす。諸(これ)を仏子に寄す。共に来縁を結ばん。⇒私達が生まれた国土は違いますが、天空を吹く風や、月には国境がありません。この袈裟を、仏教を学ぶ皆様にお贈りします。共に永遠の縁を結ぼうではありませんか)
という偈頌(げじゅ=仏教でいう詩)だそうである。中国の高僧・鑑真もこの詩を読んで、とても感動し、それが日本にわたる決心をした理由の一つになっているという。番組中では触れられていなかったが、鑑真が6度目の渡航の試みにようやく成功して奈良の都に到着した天平勝宝6年(754年)よりもはるか昔、神亀6年(729年)に長屋王は政変に巻き込まれて自害していた。おそらく、自分の「詩」が中国の少なからぬ人々を感動させ、その記憶に留められたことを王は知らなかっただろうと思われる。

5月21日
 横浜シネマ・ベティで柳下美恵さんのピアノ演奏付きのサイレント映画『風』の上映を見た。その後、同じ映画館で『グランドフィナーレ』を見る。『風』はサイレント映画時代の大スターであるリリアン・ギッシュが主演し、スウェーデンからハリウッドにわたったヴィクトル・シェストレムが監督した作品で、東部から風の強い地方に移り住んできた若い女性が、過酷な環境と運命にさらされながら生きていく物語で、強い北風を白馬が暴れているという先住民の言い伝えが映像化されているというような幻想的な場面がみられる。ビリー・ワイルダーの『フロント・ページ』の中で、スーザン・サランドンが映画館でピアノを弾いていたのを思い出したりしながら見ていた。
 パオロ・ソレンティーノ監督の『グランドフィナーレ』はアルプスの高級ホテルで休暇を過ごしている、今は引退した英国人指揮者・作曲者がフィリップ殿下の誕生日の演奏会で自作の音楽を指揮してほしいというエリザベス女王の懇請を、この歌が歌えるのは別居している自分の妻だけだと断り続ける、その一方で彼の友人である映画監督は気心の知れた老女優を主演させて新しい映画を作ろうとしているのだが…。物語の展開よりも、映像のすばらしさのほうが印象に残る作品である。
 老音楽家を演じているのがマイケル・ケーン、老女優がジェーン・フォンダで、この2人は若いころに、オットー・プレミンジャー監督の『夕陽よ急げ』で夫婦を演じていたなぁなどと思いだす。売り出し中のフェイ・ダナウェイ、黒人の大女優兼歌手のダイアン・キャロル、悪徳保安官というはまり役を演じていたジョージ・ケネディなど今から考えると豪華な配役であった。

5月22日
 ニッパツ三ツ沢球技場で、横浜FC対セレッソ大阪の対戦を観戦する。保土ヶ谷区民デイということで、さらにセレッソのサポーターの数が多かったこともあり、久しぶりに1万人を超える観客が集まった。一進一退の攻防が続いて前半0‐0で折り返し、後半になってセレッソのほうが優勢になってきたかなと思った終盤の87分に横浜が先取点を挙げ、その直後に大阪が1点を返し、結局1-1で引き分けになった。見ごたえのある試合であったが、横浜が勝ってくれればさらによかった。

 椎名誠『流木焚火の黄金時間 ナマコのからえばり』(集英社文庫)を読み終える。映画の撮影システムと画面の大きさの話とか、駅弁の話とか、著者が興味を持って書いていて、こちらも興味があって、比較的細かいことを詳しく書いている個所が面白い。どこまで集中力を切らさずに対象を描き切るかがエッセーを書く時の勝敗の分かれ目だななどと考えていた。

5月23日
 東京の病院に出かける。帰りに白金台のROROでスパゲティ・ミートソースを食べる。まずまず。この店は時々、テレビで紹介されるが、常連客が多く、その中に芸能人もいるということからではないかと思う。

5月24日
 榎原雅治『室町幕府と地方の社会 シリーズ日本中世史③』(岩波新書)を読み終える。いろいろと有益な示唆を得られる書物であるが、取りあえず1つだけ書いておくと:
(足利)成氏は鎌倉に戻ることができず、古河にとどまったので、古河公方と呼ばれる。
 そして年号が享徳から康正に変わっても、成氏はこれに従わず、実に27年にわたって享徳年号を使用し続けた。南北朝時代、2つの朝廷がそれぞれに年号を立て、北朝に服する者は北朝年号を、南朝に服する者は南朝年号を使用したことが示すように、ある年号を使用するということはその年号の制定者に服することを意味する。京都の改元に従わないということは、京都の政権には従わないという意思の明確な宣言であった。(180ページ)
 但し、この件をめぐっては、単なる事務的な手続きの行き違いが原因であるという説もあるようである。

5月25日
 NHKラジオ『実践ビジネス英語』はLesson 4: Bike Month and Keeping it Safe (自転車月間と安全確保)というビニェットに入ったが、登場人物の中のマンハッタンに住む何人かは職場に自転車通勤をしている。
Being able to bike to work is one of the plus of living in the heart of the Big Apple.
(自転車通勤ができるのは、ビッグアップルの中心部に住むことのメリットの1つです。)
 会話を聞きながら、思い出したのだが、ニューヨーク市はBronx, Brooklyn, Manhattan, Queens およびStaten Islandの5つの区(borough)からなっている。1つ1つの区がかなり大きいのが特徴的で、市の行政の実態など、もっと詳しく知っておく必要がありそうだと思った。

 同じ番組の”Quote...Unquote"に登場した言葉:
Vanity and pride are different things, though the words are often used synonymously. A person may be proud without being vain. Pride relates more to our opinion of ourselves; vanity, to what we would have others think of us.
                      (from Pride and Prejudice)
----Jane Austen (English novelist, 1775-1817)
虚栄心と自尊心は、同じ意味で使われることが多い言葉だが、別のものである。人は、虚栄心を伴わずに自尊心を抱くかもしれない。自尊心は、どちらかというと、自分自身への評価にかかわるものであり、虚栄心は他人に自分がどう思われたいのかにかかわるものだ。
 なかなか鋭い洞察である。『高慢と偏見』は読んだことがあるのだが、この言葉についての記憶はない。また、読み直してみよう。

5月26日
 NHKラジオ『実践ビジネス英語』の”Quote...Unquote"に出てきた言葉:
Better to be without logic than without feeling.
(from The Professor)
---- Charlotte Brontë (English novelist and poet, 1816-55)
感情がないよりも、理屈がない方がいい。
 他人を説得しようと思ったら、相手の気持ちに配慮しなければならない。いくら正しい理屈を並べても、相手の気持ちを傷つけてしまったら、自分の誠意は通じないだろう。

 島田裕巳『「日本人の神」入門 神道の歴史を読み解く』(講談社現代新書)を読み終える。「なぜ歴代の天皇は伊勢神宮への参拝を避けたのか」について、神宮の神の祟りを恐れたからであるという議論を展開している。本来、おそろしい、祟りをもたらす存在であったはずの日本の神が、どこでどう変質したのかについての考察が十分であるとは言えないが、問題提起の書としては読み応えがある。
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