加藤周一『夕陽妄語 Ⅰ』

5月25日(水)曇り

 5月23日、加藤周一『夕陽妄語 Ⅰ』(ちくま文庫)を読み終える。1984年7月から1991年12月にかけて『朝日新聞』に連載され、1987年に『夕陽妄語 Ⅰ』、1990年に『夕陽妄語 Ⅱ』、1992年に『夕陽妄語 Ⅲ』として朝日新聞社から出版された時評を1冊にまとめたものである。論評の対象は政治・社会、歴史・民俗、文化・芸術、学術・思想と多岐にわたる(スポーツと身辺雑記があまりないのも特徴かもしれない)。

 冒頭の「夕陽妄語の辨」で著者はこの標題(「せきようもうご」と読む)が、江戸時代の詩人菅茶山の『黄葉夕陽村舎詩』をいくらか思い浮かべて、「新聞に載せるよしなしごと」(16ページ)という意味合いであると説明しながら、題名にかかわる思い入れはそれだけではないと述べている。東京で育った著者は、子どものころに見た西方に広がる遠い山脈と富士山の上に広がった夕景が忘れられず、それが著者自身の価値観や美意識を形成してきたという。「私が好むのは、長い年月の間に楽の茶碗に染み出す微妙な色調であり、沈みゆく町に沈む夕陽の最後の輝きであり、あらゆる価値に対する懐疑主義である。もし私の雑文に時節があるとすれば、その時節は夕暮れにちがいないだろう」(17ページ)と夕暮れに対する愛着を語る。著者自身が人生の夕暮れを迎えているという認識もあるかもしれないが、それでも、「私は、夕暮れの文を作って、闇夜の文を作らない」(19ページ)。日が暮れて夜が明ければ、また明日が来る。著者は文明の歴史を語り、未来を展望している。内容の理解を助けるために、1年ごとにその年に起きた主な出来事がまとめられている(年表作成者=大久保由理)が、この時期は1989年(平成元年)11月のベルリンの壁の崩壊に代表されるように、激動の時代であるとともに、この時期に議論されていたことが、現在も引き続き取り上げられている例が少なくないことに気付く。

 時事問題に関連する発言としては、「太平洋のいくさの末期、フィリピンで死んだ敗戦の日本軍部隊の仲間たちに、「化けて出てくれ」と大岡昇平氏が呼びかけたのは、1958年、岸信介内閣が安保条約改定交渉を始めた年である」(188ページ)と書きだされる、「化けて出てくれ」(1987年8月17日)、核兵器の使用を論じながら手段と目的の混同について警告を発している「何故原爆を落としたか」(1989年8月23日)など説得力に富むし、現在われわれが直面している問題を考える場合にも有益であろう。

 またより、文明の内奥に分け入った論考としては、一神教=好戦的、多神教=平和的という考え方を実例に基づいて批判した「日米内外」(1990年2月15日)、東(南)アジアにおける儒教の影響と経済の発展についての様々な説を分析した「儒教再考」(1990年7月17日)にも注目すべき議論がみられる。さらに、私の個人的な関心からいえば、マルクスとトックヴィルという19世紀を代表する2人の思想家について、「歴史の一方の見方が決して他方の見方に還元されぬ事」(243ページ)を感じさせられたという「歴史の見方・1848」(188年6月16日)がもっとも考えさせられる文であった。

 だからと言って、著者の議論のすべてに納得しているわけではなく、不満を感じる部分もある。
 1987年6月15日に発表された「日本における『反ユダヤ主義』」は、ユダヤ人たちが共同謀議を凝らして米国を、そして世界を支配し(ようとし)、「日本いじめ」もその表れの1つであるという日本の一部で「人気?」のある考え方を取り上げた文章である。著者は、このような考えがたびたび表面化する理由を5つ挙げて論じているが、それぞれに説得力がある。そして「反ユダヤ主義」は一時の流行に終わるだろうが、流行の背景をなすものはそれほど簡単になくならないだろうという。ここまでは特に異論もないのだが、経験に基づいていっておきたいことがある。
 著者は「日本国にはユダヤ人がほとんどいない」(180ページ)と書いているが、この時期は日本の各地でイスラエル人の露天商がアクセサリー類を売りさばいていたのではなかったか。そして、彼らの商売繁盛ぶりが日本における「反ユダヤ主義」のある種の虚構性を示していたのではないかと思う。

 ごく一部しか取り上げていないが、取り上げなかった部分にも、もちろん読むべき意見は多い。漠然とではなく、この文が書かれた時期に自分は何をして、何を考えていたかを思い出しながら読むべき本であると思ったが、そういう思い出を持たない若い世代にはまた別の読み方があるだろうと思う。
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