日記抄(5月13日~19日)

5月19日(木)晴れ

 5月13日から本日までの間に経験したこと、考えたことなど:
5月13日
 近所の郵便局ではなく、駅前の郵便局で貯金を下ろす。その際に目撃した事件(?)でいろいろと考えさせられた。
 窓口で色の黒い外国人の男性(後で考えると、ブラジル人らしい)が何やら押問答をしている。彼のつれている女性が郵便局のキャッシュカードを作ったのだが届いていないということらしい。女性の方はほとんど日本語ができない様子で、こちらもそれほど日本語が達者だとは思われない男性が仲立ちをしているのだが、多分、そのことも手伝って、一向に納得する様子がない。
 郵便局の職員の説明ではキャッシュカードは書留で女性の自宅に送り、それを受け取ったという記録が残っている。したがって、家を探してみれば、カードを入れた封筒が見つかるはずだという事である。女性の方は、受け取っていないの一点張りで、こういうのを説得するのは難しいだろうなぁと思っているうちに、私の用事が済んだので、その後どうなったかは見届けずに郵便局を出てきた。職員としては、単に事情を説明するだけでなく、相手のいっていることをちゃんと聞いているということを理解させる努力が必要だったのではないかと思う。会話は、理屈だけでなく、気持ちにも支配される。多分、職員のいっていることが正しいのだが、正しいからといって理解されるというものでもないのである。

 横浜シネマ・ベティで『蜜のあわれ』(石井岳龍監督)を見る。室生犀星がその晩年に書いた小説の映画化である。心身の衰えを感じはじめた老作家と若い女性の出会いを描くというところは、永井荷風の『濹東綺譚』と共通するようにも思われるが、女性が金魚の化身だという幻想的なところが特徴である。幻想といえば、老作家が過去に出会った女性の幽霊のほか、芥川龍之介の亡霊が登場する。芥川は何人かの俳優が演じているが、『末は博士か大臣か』で仲谷昇が演じていたのが一番印象に残り、今回の高良健吾はかなり劣る。
 『濹東綺譚』は1960年に豊田四郎監督、山本富士子主演、1992年に新藤兼人監督、墨田ユキ主演で映画化された(その他の映画化もある由である)が、新藤の作品しか見ていない。この映画化では荷風の日記も取り入れて、彼が戦争で焼け出されたり、文化勲章を受賞したりしながら次第に老いていく過程を描いているところに新藤自身の老いが重ね合わせられているように思われた。何とか、豊田の方も見てみたいものである。『蜜のあわれ』よりも新藤版の『濹東奇譚』のほうが面白いと思ったのは、演出の差と、映画を見たときの私の年齢の両方が絡み合ってのことではないかと思う。

5月14日
 ニッパツ三ツ沢球技場でなでしこリーグ2部の横浜FCシーガルスとちふれの対戦を観戦する。0-2で敗れる。これまでの試合と違って、チームとしての格の違いを見せつけられる完敗であった。

 NHKラジオ「攻略!英語リスニング」は”Herbs and Spices"(ハーブとスパイス)を話題として取り上げた。中世ヨーロッパではスパイスはぜいたく品の一つで、中東からのスパイス貿易は長らくヴェネツィアが独占してその富を築いていたが、各国が金銀とともにこのスパイスを求めて各地に探検家を派遣するようになり、”the Great Age of Discovery" (大航海時代)の幕が開いたという次第が語られた。講師の柴原さんが述べていたように、欧米の目からこの経緯を見るのと、日本人として見ていくのとではこの過程に対する見方が違っていいはずである。

5月15日
 Eテレ「日本の話芸」で笑福亭鶴光さんの「五貫裁き」を視聴する。東京では三遊亭円生の口演をラジオで聞いたことがある。道楽で身を持ち崩し、それを苦にして両親が死んだ八百屋のせがれが、棒手振りから八百屋をやり直そうと大家さんに奉加帳を作ってもらって、開業資金を集めようとする。困っているところを父親に救われた恩義があるはずの質屋に出かけると、吝嗇で有名な質屋は1文しかよこさず、ひと悶着が起きる。奉行所に訴え出たところ、奉行は1文といえども天下の財貨を粗末にしたのは八百屋の方に非があると、五貫文(5,000文)という科料を言い渡す。それを毎日1文ずつ質屋に持参し、質屋が奉行所に届けると云うのがそれに付随した手続きである。1文を奉行所にもっていくといっても、主人が町役同道で届けなけばならず、1文を届けるのに相当な出費がかかってしまう…。
 鶴光というと、若いころにタレントとして活躍していたころの印象しかなく、どんな芸なのかなと思ってみていたのだが、それなりに風格も備わり、落ち着いた話しぶりであった。ただ、どうもうまく具体的に表現できないのだが、私が好きな芸風ではない。

5月16日
 NHKラジオ英会話で
I saw a huge eel swimming out of a cave. (大きなウナギが洞穴から出てくるのを見たよ。)
というセリフが出てきたが、ここはウナギよりもアナゴのほうがそれらしいのではないかと思って、辞書で調べてみたところ、アナゴはconger (eel)であるが、eelという語は、ウナギだけでなく、アナゴのように、ウナギに似ている魚についても使う場合があることが分かった。

 NHKラジオ「レベルアップ中国語」第26課の「今日のつかみの一言」は”梁山泊的軍師――無(呉)用”(Lianshanpo de junshi -- wu yong 梁山泊の軍師――役に立たない、軍、師、無、呉は簡体字)であった。梁山泊に集まった豪傑たちの中の序列第3位の頭領、智多星の呉用はさまざまな計略をめぐらして、梁山泊の力を強大にすることに貢献するが、呉と無は同音であるところから呉用=無用と、からかわれている(呉用が失敗する場面もあることが意識されているという説もあるようである)。

5月17日
 NHKラジオ「レベルアップ中国語」第27課の「今日のつかみの一言」は〝杳如黄鶴”であった(yaoruhuanghe =杳として消息が分からない。鶴の字は簡体字になる)。ある酒楼にやってきては酒を飲んで、金を払わない老人がいた。彼は実は仙人で、ある時、お礼にと彼が酒楼の壁に描いた鶴が飛び出すことが評判になって、酒楼は繁昌する。(落語の「抜け雀」に似ている。) その後、再びやってきた仙人が壁から呼び出した黄色い鶴に乗ってどこへともなく消え去ったという故事から出た表現である。

5月18日
 加藤周一『夕陽妄語Ⅰ』を読み進んでいるのだが、1985年に書かれた「日伊比較事始」という文章が面白かった。リソルジメント(国家統一)とその後の工業化の速やかな進行の過程が、幕藩体制の崩壊⇒統一国家の形成から殖産興業を進めた日本との対比で注目してよいのではないかという。実は私も、日本の社会や歴史について考えるときに、ヨーロッパの主要国:英・仏・独と比較することも大事だろうが、イタリアやスペインと比較してみることも意味があるのではないかと思っているのである。特に地方自治をめぐる問題など、示唆を与えられる点が少なくないのではなかろうかと考えている。

5月19日
 横浜シネマ・ベティで『Mr. ホームズ』(ビル・コンドン監督)を見た。90歳を越え、イングランド南部で養蜂に従事しながら老後を送っているホームズは、彼の最後の事件における「失敗」を気にして、それを自分の手で書き記そうとしている。ミステリというよりも、ホームズというキャラクターを借りて、老いとか衰えとかいうものを描きだそうとした作品のようである。イングランドの、特に田園風景がいかにもという感じで描かれているのに対し、ホームズが甥による記憶の減退を防ぐ妙薬として「山椒」を入手しようとして訪問する日本の描写はまことに現実離れがしている。それに個々の出来事がいつのことかが、きちんと整理されて提示されていないのも減点材料であるが、それでも見応えがあった。やはり自分自身の老いを重ね合わせてみることができるからであろうか。

 映画を見た後、末吉町の洋食屋・洗濯船でビーフカレーを食べる。みそ汁、野菜サラダがついて、750円。こういう店が横浜駅の西口にあったらなぁと思う。

 金子民雄『ルバイヤートの謎 ペルシア詩が誘う考古の世界』(集英社新書)を読む。11世紀のペルシアで活動した数学者、天文学者であったオマル・ハイヤームが残した四行詩(ルバーイイ、ルバイヤートはその複数形)集は、英国の詩人エドワード・フィッツジェラルドによるかなり自由な英訳によって広く知られることになった。この詩集をめぐる様々な話題について、やや雑然と語っている書物である。

 5月に入ってから9冊の本を買っているが、そのうち7冊を読み終えているという、これまでになく順調な読書生活を送っている。これからも、この調子が続いてほしいものである。
 
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