千田稔『古事記の宇宙――神と自然』

4月7日(日)晴れ、午後から雲が多くなり、一時雨が降る。依然として風が強い。晴れ間が覗いているのに、雨が降ったが、これを狐の嫁入りと呼んでよいのか。

 昨夜遅くまでかかって千田稔『古事記の宇宙――神と自然』を読み終えた。『古事記』の描く世界像、特に紙と自然と日本列島に住む人々のかかわりについての問題提起の書物である。少なくとも問題提起の書物として読まれるべきであると思う。「宇宙」には「コスモス」とフリガナがしてある。『リーダーズ英和』によるとcosmosは「秩序と調和の現われとしての宇宙」という意味である。この書物は「『古事記』から、この列島の人々と自然とのつながりを探ってみようとするのが、本書の試みである」(1ページ)と書き出されている。『古事記』が日本人の本来の心を伝える書物だという言説は江戸時代からある。千田さんも指摘されているように、史書であること、本来口承であるものが書物に書き留められていること、さらに政治的な意図をもって閉鎖的な空間で編纂されたことなどのために、この書物の内容については慎重な取り扱いが必要である。それでもなお、古代の人々がどのように自然をとらえ、その中で神を感じていたかを知るために『古事記』が重要な手掛かりを与える書物であることは確かである。

 『古事記』の自然と神を語るとき、道教との関係を避けて通ることはできないと著者は論じる。第1章「天と地、そして、高天の原」はこの問題を論じている。舒明天皇から文武天皇までの歴代のうち孝徳天皇を除いた7人と天武と持統の間に生まれた草壁皇子の墓は道教思想にのっとって八角形で作られていることが取り上げられ、『古事記』成立の背景にあった道教の影響が示唆されている。『古事記』冒頭の「天地初めて発(ひら)けし時」の「天地」は今日の宇宙に相当する概念を表すとし、この天地が陰陽の原理に従うものであること、初めて現れた神とされる天之御中主神に道教的な性格が強いことを指摘している。『古事記』の自然観の中に時折道教思想の反映が見られるという。

 天之御中主神に次いで現れたとされるのが、タカミムスヒの神、カミムスヒの神であり、第2章「ムスヒとアマテラス」はこの二柱の神に共通する「ムスヒ」についての考察である。ムスヒは万物生成の霊力であり、タカミムスヒが陽、カミムスヒが陰の性格をもっているという。

 第3章は「海――神々の原郷」と題されていて、沖縄の神話を挟んで、イザナキとイザナミ、海幸彦と山幸彦の神話が論じられている。

 第4章は「山――神と精気」として聖なる山、山の神の神話を取り上げながら、山への信仰と王権の結びつきについて論じている。

 第5章は「植物――王権と精霊」として『古事記』で取り上げられている植物や、巨木信仰などについて論じている。

 第6章は「鳥――天と地を結ぶ」であり、古代人が鳥の霊力を信じていたことを、『古事記』に登場する鳥についての考察から明らかにしている。カラスが太陽と結び付けられていることから改めて道教の影響についても考えさせられる。特に鵜についての考察が興味深かった。

 第7章は「身体――内なる自然」について取り上げ、特に演技と呪力の関係について考察している。

 終章「言霊としての『古事記』」では、『古事記』の内容がもともと語られたものであったことを思い出し、内なる自然としての身体性を重視することが重要ではないかと示唆している。

 内容を大雑把に概観するだけになってしまったが、実際のところ、私が読んで面白いと思ったのは個々の神話や事項についての千田さんの解釈である。例えば、山の枕詞が「足ひきの」であるのは、山が巨大な人間に見立てられているからではないか(107ページ)という推論は説得力に富むものである。

 『古事記』の成立にかかわる政治史的な背景よりも、その中に描かれた古代人の生活や物事の感じ方の方に興味があり、この書物が『古事記』の中の歌謡を多く利用することによって、より具体的なイメージを描き出そうとしていることに好感をもった。
 
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