ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(28-3)

5月15日(日)晴れ

 1300年4月13日、ダンテは天国の貴婦人の依頼により、彼を異界への旅へと導いたローマ黄金時代の大詩人ウェルギリウス、ひそかにキリスト教へと改宗しながら、それを隠し続けた怯懦の罪を煉獄で償い終えて、天国へと向かう途中の第5環道で2人に追いつき、ウェルギリウスへの敬慕の念から2人に同行するローマ白銀時代の詩人スタティウスとともに、煉獄の第6、第7環道を通過して、煉獄山の頂上にある地上楽園に到達した。
 神が地上に造った森のすみずみまで知りたいという思いに駆られて、ダンテはその奥深くに入るが、途中で小川にぶつかり、それ以上進めなくなった。すると、小川の向う岸に一人の美しい貴婦人が現われ、彼に心の中で抱いている疑問があれば、質問するようにという。ダンテは、地上で学んだ学問の内容と、地上楽園の様子が違うことに戸惑っていたのである。

 地上楽園でダンテの前に現れた貴婦人は、ここがもともとは創造主によって人類の住処として作られた場所であるという。
・・・「・・・
至高の善は…
善良かつ善を目指すように人類を創造され、この場所を、
永遠の平和の前約束として人類に与えられたのです。

人類は間違いを犯したため、ほんのわずかな間しかここに住みませんでした。
人類は間違いを犯したため、無垢なる笑いと幸せな歓びは
涙と苦悩に変わってしまいました。
(418-419ページ) もともと、この楽園には人類の始祖として創造されたアダムとエヴァとが暮らしていた。しかし、彼らが犯した間違いのために、人類がここに住んでいる期間はごくわずかであったという。
 この地上楽園は、煉獄山の頂点、地球を包む大気を3つの圏に分けると、その最上部の第3圏に、地上の気象変化の影響を蒙らないように創造されていた。そして宇宙から伝えられる動きに合わせて大気が動き、それがこの地上楽園(=エデンの園)にぶつかっているために、風が起きているのであるという。つまり地上楽園は宇宙の調和の一部をなしているのであるという。

 そして、言葉を続けて言う:
あなたの見た水の流れは、吐量が増減する他の川のように、
冷気が水蒸気を液化させることで湧く
水源から流れ出ているものではなく、

いつも不変で尽きることのない泉から発しています。
それは二方向に分かれた注ぎ口から流した分だけ、
神の御意志によって足されるのですから。

このあたりを流れ下っている水は
人の罪の記憶を奪う力があり、
別の方の水はあらゆる善き行いを取り戻させます。

それゆえ、こちらはレーテ、別の流れは
エウノエと呼ばれ、双方の水を味わうまでは、
どちらも効力を持ちません。
・・・」
(421-422ページ) 地上の川とは違って、神の意志によって、地上で犯した罪の影響を拭い去る川レーテと、善の記憶を意味する川としてダンテが作りだした、エウノエの2つの流れが流れている。レーテはギリシア神話では冥界を流れていて、その水を飲むと生前のことを一切忘れてしまうという川であるが、それをダンテは煉獄の頂上に置き、自分が想像したエウノエの流れとともに罪の償いの最後にある存在として描きだしている。

 そして貴婦人はこの地上楽園こそ、ギリシア・ローマの詩人たちがパルナッソスとして描きだしたものであり、川の流れは詩人たちがネクタルと歌いあげたものであると付け足す。
その時に私は全身で後ろを振り返り
我が詩人たちに向き合った。そして彼らが微笑みを浮かべ、
最後の一節を聞いているのを見た。

その後で私は美しい貴婦人に視線を移した。
(424ページ) こうして地上楽園がかつての「エデンの園」であること、また古典古代の詩人たちが夢みたパルナッソスはこの楽園に他ならないことを述べて、古典古代の詩人たちの夢想とキリスト教の神話とを結び付け、第28歌は終わる。(前回も述べたが、あくまでもキリスト教的な価値に、古典古代の価値を統合するところに、ダンテの世界観の特色があり、ギリシア・ローマの文化がキリスト教に呑み込まれないほどに偉大な独自の特色を持つという考えは、もう少し後にならないと出てこないのである。)
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR