『太平記』(105)

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 鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐天皇が京都に戻られ、公家による政治が復活を見た。天皇の配流中に不遇であった人々は、京都に戻ってわが世の春を謳歌したが、武士たちの中には不満を抱き、再び武家の天下に戻ることを望むものもいた。元弘3年(1333年)8月に論功行賞が行われたが、後宮の内奏による不正が多かった。元弘4年(建武元年)正月には大内裏の造営が決定されたが、兵乱の直後で財政難を押して強行されようとすることに、眉を顰めるものが多かった。この年の春、筑紫、河内、伊予などで北条氏の残党が蜂起したが、間もなく鎮圧された。新田義貞はじめ諸国の軍勢が上洛し、恩賞の沙汰が行われたが、赤松円心は、佐用庄を安堵されたのみであった。天皇の寵臣の中でも千種忠顕の奢りは甚だしかった。

 とはいうものの、千種は俗人であるから、ぜいたくな生活を送ってもさほどの批判には値しない。それに比べると文観僧正の振舞には僧侶にあるまじき不思議なものが感じられたと『太平記』の作者は続ける。
 「たまたま一旦名利の境界を離れて、三密瑜伽の道場に入り給ひし甲斐もなく、ただ利欲名聞(みょうもん)にのみ趍(はし)つて、さらに観念定座(じょうざ)禅の勤めを忘れたるに似たり」(第2分冊、253ページ、なにかの機縁があってひとたびは名声や利欲の世界を離れて、密教の悟りを得る道場に入った甲斐もなく、ただ利欲や名声のみを求める方向に走り、さらに仏の世界を心に念じて座禅するという勤めも忘れたようであった)。特に用もないのに、財宝を倉に積み、貧しい人々に分け与えるでもなく、武具を集め、武士たちを周囲に集めている。彼の権勢に媚びて、利益を得ようとやってくるものには、忠義なものではなくても賞を与えたので、文観僧正の手下と称して、徒党を組んで威張り散らす者たちが、都中にあふれ、5/600人に及んだ。それで、御所から遠くない場所にいたのに、僧正の乗る輿の前後を数百騎の武士たちが囲んで路地を歩いたので、都の人々は大いに迷惑し、戒律を顧みない僧侶であると人々に非難された。

 『太平記』の作者は、中国の名僧といわれる人々の例を挙げて、「心ある人は皆、古(いにし)へも今も光を韜(つつ)み、跡を消して、暮山の雲を伴とし、一池の荷(はちす)を衣として、道を行ひ、心を澄ましてこそ生涯を尽くす事なるに」(第2分冊、254ページ、心ある人はむかしも今も才能を隠し、姿をくらまして、夕暮れの雲を友とし、池の蓮の葉で衣を作り着て仏道修行をして、一生を過ごすべきであるのに)、この文観は名声と利欲の絆に縛られていたのは、尋常なことではない、必ずや仏法の敵である悪魔が乗り移ってこのような振る舞いをさせたのであろうという。

 そして、鎌倉時代の高徳の僧であった解脱上人が、伊勢神宮にお参りした際に、阿修羅たちが会議をしている不思議な夢を見多という説話を語る。日本には解脱上人という僧がいて仏法を盛んにしているので、阿修羅の軍勢が勝つことができない。後鳥羽上皇に幕府を滅ぼそうという野心を植え付け、幕府方が勝利するようにしくみ、後堀河天皇が即位するようにすれば、この方は解脱上人に前々から帰依しているので、解脱上人は高い位につくことになるだろう。そうすると、解脱上人にも驕慢の心が生じるので、阿修羅が付け入る隙が生まれるだろうと策を練っている(ずいぶん手の込んだ、遠大な策略である)。これを夢見た解脱上人は、神仏が自分の修行を妨げないようにとこのような夢を見させたのだと感激し、南山城(京都府南部)の笠置山にこもって厳しい修行に明け暮れた。すると、阿修羅たちが予言したように承久の変が起きて、鎌倉幕府が勝利し、後堀河天皇が即位されて、解脱上人を高い位につけようという使いが遣わされたが、固辞して受けず、いよいよ行い澄ましてその生涯を終わった。これに比べると文観の行状は凡俗の目から見ても非難すべきものであった。文観が権勢に驕ったのもつかの間、ほどなく建武の乱がおき、彼は自分の法流を継ぐべき弟子が一人もいないまま、孤独衰窮の身に落ちぶれ、吉野のあたりを彷徨った挙句に世を去ったという噂であると『太平記』の作者は結ぶ。

 森茂暁『太平記の群像』によると文観が重く用いられたのは、「法験無双の仁」と呼ばれるほどに、彼の呪験力が強いものであったことによるのだそうである。森さんによると、文観は没する前にもう一花咲かせており、『太平記』の作者が記すほど落魄した哀れな最期を遂げたのではなさそうであるが、驕れるものは久しからずと、多少の創作を交えて語るところに、文学としての『太平記』の意義と主張があると理解すべきであろう。文観の行状については彼が密教の僧侶であったことが大きくかかわっているのであるが、『太平記』の作者の中にも密教の関係者がいたはずで、そのあたりのことを考えながら読み進めていく必要がある。
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