宮下奈都『メロディ・フェア』

5月11日(水)曇り、風強し。

 宮下奈都『メロディ・フェア』(ポプラ文庫)を読み終える。

 宮下さんは近作『羊と鋼の森』で第13回本屋大賞を受賞するなど、注目度が上がっている作家であるが、この作品を読むことになったのは、医院の待合室で読む本を探していて、これがよさそうだと思ったという単純なものである。もっとも、実際には、医院に出かける前に読み終えてしまい、待合室では感想をまとめていたというのが真相である。

 「ピンクがテーマカラーの化粧品会社のカウンターに勤め始めて一か月になる。」(8ページ)
 語り手でもある主人公の小宮山結乃(よしの)は、大学卒業後、郷里に戻って化粧品会社の美容部員(ビューティーパートナー)になる。この仕事を選んだのは、もともと化粧に興味があったからだが、再び同居することになった母と妹は2人とも化粧っ気のない生活をしており、彼女の仕事に理解を示さない。彼女がその意に反して配置された職場は、郊外のショッピングモールの中にある化粧品コーナーのカウンターで、6年次上だという馬場あおいさんという女性と2人で仕事をすることになる。馬場さんは既婚で子持ち、退職してパートとして戻ってきたのだが、美人で仕事の手際がよく、顧客のほとんどに一人で対応している。そんな中で、ぼちぼちと結乃の客ができはじめる。

 題名となっている「メロディ・フェア」は彼女の職場で夕方の5時20分になると流れる音楽の題名でもある。この時間になると「表情も年齢もわからないくらい濃いメイクを」(15ページ)をした女性が現われる。馬場さんはこの女性を嫌がっているのだが、あるきっかけから彼女が、結乃の小学校時代の親友であった真城ミズキであったことが分かる。長い時間の後に再会した彼女は、自分の夢が世界征服であると語る…。いくらなんでもそれは大げさではないか…。

 大学時代の同級生で、<化粧の心理学>を研究したいといっていた女子学生がいた。大学レベルの心理学で、どれだけのことが言えるようになるのかはわからないが、とにかく大手の化粧品会社に就職できたようである。多分、就職後、相当しごかれたのではないかと思う。<化粧の心理学>といっても漠然とし過ぎている。化粧品を売りつけようとする会社側の考える消費者の心理と、個々の顧客の心理とではかなり隔たりがある。そのどちらの側の心理を研究するというのか。
 打ち明けると、もう40年ほど前に他界した私の父は、そのサラリーマン生活の最後の方で化粧品の販売の会社に勤めていた。どう考えても、柄に合わない仕事で、そうやって会社から追い出されようとしていたのかもしれない。柄に合わない仕事を押し付けられるのは、私の場合も同様であったなぁと思う。そういう、化粧品会社で働いている人間の心理というのもある。
 ごく簡単な心理現象は、経験を積んだり、起きたことを日記に書き記したりすることである程度はわかってくるものである。そこから心理学研究への距離は相当に遠い。同級の女子学生がしごかれただろうなぁと思うのは、そういう理由からである。

 この小説では、地方都市に住む様々な女性たちの化粧を通じての自己表現、生活への取り組みの諸相と、それを受け止めながら、自分のキャリアを積み重ねようとしている美容部員の主人公の成長が描かれている。一人前の美容部員になるのに心理学は必要ない、むしろ経験から学ぶことが必要である。化粧という営為を媒介にして、職場や家庭での人間関係を描きだして行くというやり方は、(近頃では男性のあいだでも化粧への関心が高まっているし、性の境界もかなり変化してきてはいるとはいえ)女性作家ならではと思われるものであるし、男性の作家であれば気づかないであろう日常の営みや心理の動きなどの描写が新鮮である。宮下さんの作品を読むのは『太陽のパスタ、豆のスープ』、『窓の向うのガーシュウィン』に続いて3作目であるが、それぞれ登場人物の職場と家庭の問題を絡めながら、ひたむきに生きようとする彼らの姿を温かく描きだしているところに特徴がある。ただ、これまで読んだ3作に共通していえることは、男性の影が薄いことで、この点がこれからの作品の中でどう変化するのか、しないのかには興味がある。

 男性の影が薄いといえば、物語の語り手が小学生だったころに、父母が離婚したらしいことが語られているが、この物語が、いつ頃の話なのかはぼかされているし、そのため、語り手と作者との距離もわからないように設定されている。あまりはっきりとは述べられていないが、(方言についての発言などからわかるように)この作品の舞台となっているのは福井市である。ただし、どこの町でも起きるような出来事が続き、地方色というのはそれほど強調されていない。冬の雪についての描写もないし、地方特有の行事が描かれているわけではない。地方都市の明け暮れがより普遍的な意味をもつものとして読者に提示されているのである。
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