ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(28-1)

5月2日(月)晴れ

 1300年4月13日、ダンテと彼を導いて来たウェルギリウス、途中から2人に同行しているスタティウスの3人は煉獄山の頂上にある地上楽園に到達した。それは神の造った森であり、27歌におけるウェルギリウスの言葉:
「あの甘き果実を多くの枝の中に
探しながら必滅の者達の思いは歩んでいくが、
今日、それがおまえの飢えを満たすであろう。」
(406-407ページ)が表現しているように、現世におけるしあわせの到達点である。そしてウェルギリウスはこの後は、ダンテが自分自身の判断で行動するようにと言い渡した。

その前から私は、あたらしい日の光を目にやさしくやわらげる、
常緑の豊かな神の森を
その奥から果てまで訪れてみたいと心がはやり、

それ以上の許しを待つこともなく岸壁を後にし、
あらゆる場所が香る土を踏みしめ、
平野を少しずつ少しずつ進んでいった。
(410ページ) この美しい森をすみずみまで探索したいとはやる気持ちを抱きながら、ダンテは恐る恐る「少しずつ少しずつ」進んでいく。

さわやかなそよ風が、変化の
気配さえなく、まさに心地よい風となって
私の額に吹きつけていた。

そのために木々の葉は皆どれも揺れながら、
聖なる山が朝の最初の影を投げかける
方角に素直になびいていた。
(410-411ページ) そして木々の枝では鳥たちが喜びにあふれた自然の音楽を歌い、葉のざわめきがその伴奏となっていた。ここでは万物が調和を保っていた。とはいうものの、ここは地球上の場所である。

まるでアイオロスがシロッコを解き放つとき、
キアッシ海岸の松林の中で
枝から枝へと奏でられる演奏のように。
(412ページ)と、ダンテはラヴェンナ(彼がその生涯を終えることになり、彼の墓のある都市である)近郊の風光明媚なキアッシ海岸(現在はクラッセといって内陸部になっているそうである)の風景を引き合いに出して、その美しさを描いている。アイオロスはギリシア神話に登場する風を司る神であり、風が勝手に吹かないように鎖でつないでいるという。シロッコは3月から7月にサハラ砂漠から吹いて来る湿潤な風だそうである。

 ダンテは森のなかに深く分け入る。
するとそこで一筋の川が進むのを遮った。
その小川は岸から伸びている草の茂みを
小さな細波(さざなみ)で左にそよがせていた。
(412ページ) その川の水は、地上のどのような川の水よりも、澄んで清らかであった。
 ダンテは足をとめて、小川の向う岸で5月の花が咲き誇っている色模様を眺めた。ここで5月の花というのは、毎年、5月1日にフィレンツェで開かれる春の祭典を念頭に置いた表現である。その祭典は多くの花に飾られる。

するとそこで私の前に現れたのだ。まるで、
人を驚かせて他の想念をすべて消し去るような何かが
突然に現れるように、

たった独りきりで貴婦人が、
歌いながら道を一面に彩る
花の中から花を選(よ)って歩いていた。
(413-414ページ) この貴婦人は何者であろうか。彼女の姿は、ダンテがこれまでであって来た煉獄でその罪を浄めている魂とは全く別物である。

 第28歌に入って、『煉獄篇』の描く世界は、明るく、美しいものとなる。それだけにダンテの描写も精彩があり、その魅力にひかれて今回は引用が多くなってしまった。それで28歌は3回に分けて取り上げることになりそうである。翻訳者の原基晶さんによると、この貴婦人との出会いから始まる個所には、ダンテと同時代人で、彼も一時期は属していた清新体派の代表的な詩人グイド・カヴァルカンティからの引用が多くみられる由であるが、それらのことについては次回考察を加えることにしたい。
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