松前健『日本の神々』

4月26日(火)晴れ、温暖というよりも、暑いと感じられるほどだった

 松前健『日本の神々』(講談社学術文庫)を読み終える。中央公論社(当時)から発行されていた『歴史と人物』に連載された日本の神話の中で代表的な神格について書いた文章の中から若干を選び、補足を加えて、1974年9月に中公新書の1冊として出版された書物が、40年以上たって今度は講談社学術文庫の1冊として刊行された。日本の神話についての実証的な研究は、歴史学と、民俗学・比較神話学の2つの方法によって進められてきたが、著者である松前健(1922-2002)はその両者の橋渡し的な役割を担ってきた研究者であり、そのような研究の成果を簡潔にまとめている。
 もちろん、この書物が書かれてから40年間もたっており、「政治・文化の中心があったという微証は、考古学的にはほとんど無に近い」(61ページ)と著者が断じている出雲から重要な考古学的発見が続いたというような、論旨の変更を迫る部分がないわけではない。それでも、問題の立て方や、研究の進め方を含めて、この書物は日本神話研究において重要な手引きとなる本であろう。著者が「はしがき」で列挙している一連の前著とともに、関心のある読者の書架に置かれ、繰り返して読まれるべき書物である。

 この書物は以下に示すように、5章から構成されている。
第1章 イザナギ・イザナミ神話の形成
第2章 スサノヲ神話の形成
第3章 アマテラス神話の源流
第4章 伊勢神宮とアマテラス
第5章 日本神話と歴史とするために
 第1章から第4章までは、日本神話における代表的な神格をめぐる神話の性格や、(特に第3・4章においては)祭儀について論じており、第5章では、著者の神話研究の方法論が述べられている。

 第1章では日本の創世神話の主人公であるイザナギ・イザナミについて、この2神が海洋神的な性格をもつことを指摘したうえで、それぞれが天父・地母であり、その結合と国生み、さらにその別離の神話が「もともと天と地の結合、および万物の化生とその分離を物語る、いわゆる天地勏判(ほうはん)神話の一変形であろう」(14-15ページ)という説が有力であると述べる。
 「イザナギ・イザナミ二尊の内性は、はたして天父と地母であるのが原初的なものなのか、それとも、海洋との関係が古いものであるのか、単純には決めがたいものがあるが、・・・後世には両者の要素が併存していることは事実である。
 そのほかに、・・・この二神には、人類の祖先としての要素、日月二神としての要素、竜蛇神としての要素、また道祖神としての要素などもあり、その神格の成立には、複雑な多元的要素が基盤となったことを物語っているのである」(16ページ)とその神格がさまざまな要素を組み合わせて成立してきたものであると論じている。

 しかし、その一方で、イザナギ・イザナミは、本来、一地方神にすぎなかったという推定も取り上げられている:
「この二神が、皇祖神アマテラスの親神とされ、高天原パンテオンの上席に位置を占めるに至る前は、単に淡路島を中心とする漁民集団「海人(あま)」たちの奉じる一地方神であったらしい」(16ページ)について、さまざまな資料を引き合いに出して論証する。
 「イザナギ・イザナミはもともと淡路の海人の奉じる創造神であった。したがってその国生みは、もともと淡路島を中心とする小規模な話であったのであろう。これが大八洲全体の国生みというスケールに拡大されたのは、ある時期における政治的配慮によるものである」(18ページ)と論じられる。パンテオンという言葉はさまざまな意味で使われているが、ここでは神々の集まる場所と理解しておけばよろしい。「大八洲(おおやしま)」は日本の国土のことで、むかしの人は日本が8つの大きな島からなっていると考えていたようである。「ある時期における政治的配慮」というのがどういうことかは、この書物の後の方で出てくるはずである。

 第1章はまだまだ続くのだが、今回はここまでで終えることにする。地方神であったはずのイザナギ・イザナミが、国生みを行った神、皇祖神の祖神とされるに至ったことは、日本の神話がどのようにして形を整えるに至ったかを考えるうえで重要な手がかりを与えるものであり、繰り返しになるが、今後、詳しい考察がなされることになる。
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