遠藤慶太『六国史――日本書紀に始まる古代の「正史」』(9)

4月25日(月)晴れ後曇り

 《六国史》とは奈良時代から平安時代にかけて編纂された『日本書紀』、『続日本紀』、『日本後紀』、『続日本後紀』、『日本文徳天皇実録』、『日本三代実録』の6部の歴史書を総称する言い方である。既に紹介したこの書物の第1章「日本最初の歴史書」は、『日本書紀』を、第2章「天皇への歴史の執着」では『続日本紀』と『日本後紀』が取り上げられていた。第3章「成熟する平安の宮廷」では、残る3部が取り上げられているが、今回は、『続日本後紀』について取り上げた部分を論じることにする。

 『続日本後紀』という大きく構えた書名にもかかわらず、この歴史書が扱っているのは仁明天皇一代の治世のみ、天皇の在位期間、詳しくいうと天長10年(833)2月乙酉(きのととり=28日)の即位から、嘉祥3年(850)癸卯(みずのとう=25日)の葬送までが記されているという。天皇の在位は18年にわたっているが、それが20巻にまとめられている。『続日本後紀』は1年間を1巻に編成することを基本方針としているが、天皇即位の年である天長10年と「承和の変」が起きた承和9年(842)については記事が多いために2巻から構成されているという。

 『続日本後紀』を締めくくる仁明天皇の崩伝は、天皇が思考力にすぐれ、学芸に心を寄せられていたことを記す。「伝記には政治的な事績に関する記述は一切なく、足かけ18年の治世を振り返る文章が学芸の紹介で占められている。天皇が在位した9世紀の宮廷、さrに『続日本後紀』という史書の関心がどこにあったかを示している」(125-126ページ)と著者は述べる。
 続いて、天皇が病弱のためか、医薬に深い関心を寄せられていたことが触れられる。「『続日本後紀』は仁明天皇が病歴・服薬歴を回顧した発言を掲載し、…天皇の父嵯峨太上天皇から「金液丹」の服用を勧められたことを記す。この薬は一般の医師が服用を反対する秘薬であった」(127ページ)。

 病弱と、学問好きの2つが重なって、仁明天皇は医術書を読みふけり、医師を黙らせるほどの知識を身につけられた。植物原料の薬を服用されているうちはよかったのだが、病状が進んで薬が効かなくなった時に天皇の父の勧めにより、黄金や水銀などの鉱物を主成分として調合された秘薬である金液丹を服用するようになった。そのおかげで、41歳まで生き延びることができたと天皇は回顧されているのだが、中国の歴史に照らしても、水銀を服用することで寿命を縮めたり、精神に異常をきたしたりした皇帝の数は少なくないようである(水銀が有害であることについて著者は触れていないが、当然の前提としていると思われる)。

 この薬好きの天皇が自ら<五石散>を調合され、公卿らに試しに服用するように言われたことがある。他の公卿が嫌がる中、天皇側近の藤原良相(よしみ)だけが一気に飲んで、周囲のものから感嘆を受けたという。「これは美談なのであろうか。得体の知れない薬を天皇から勧められた廷臣たちの困惑が目に浮かぶ」(128ページ)とと著者は記す。おそらくは脱線を避けて、著者は、<五石散>について詳しく説明していないが、中国で後漢から唐の時代にかけて流通していた一種の麻薬であり、鍾乳石、硫黄、白石英、紫石英、赤石脂という5種類の鉱物を磨り潰して作られた聞くだけでも怪しげな薬物である。特に魏晋南北朝時代には、文人たちの間でこの薬の服用が盛んで、魯迅が「魏晋の気風および文章と薬および酒の関係」という講演の中でこのことについて語っているので、興味のある方は(あまりいらっしゃらないと思うが)読んでみてください。

 問題はその藤原良相が『続日本後紀』の編集に携わっていることである。もともと、『続日本後紀』の編纂に携わっていたのは彼の兄の藤原良房であったが、その良房が太政大臣に任じられたために、良相が追加補充された。彼は仁明天皇と親密であり、天皇の事績をまとめる史書編纂に力を注いだと思われる。その彼を補佐したのが、政務に長けた伴善男であったが、貞観8年(866)の応天門の変で、伴善男が失脚、良相も雌伏を余儀なくされる。

 結局、この史書の完成まで編纂事業にかかわり続けたのは、政界の頂点に立つ藤原良房と、学者として編纂作業を進めた春澄善縄の2人だけであった。「対象とした年月(仁明朝一代、18年)、上奏した撰者(藤原良房、春澄善縄)、ともに小さくまとまった第4の国史『続日本後紀』の完成である。」(133ページ)

 著者は最後に、善縄の経歴とその性向とについて触れている。彼は「文章博士出身者で初めて参議に任じられ、国政を審議する資格を与えられた。・・・他の名門出身者に混じって政務を論じたとは考えられない。あくまで善縄の本領は学問にあった」(135ページ)とする。
 『続日本後紀』は宮廷で行われた詩宴について、その時に出された詩題を書き留めているが、これは他の5部の史書には見られないことであると著者は指摘する。そしてこれには善縄の意が込められているかもしれないと記している。「9世紀の日本では文章博士を養成する制度は機能していた。知識の継承が行われ、漢文による歴史の編纂が続いたのだ。またそれだけ文章博士に対する期待もあった」(137ページ)と著者はまとめる。こうして、『続日本後紀』で春澄善縄が果たした役割は、『日本文徳天皇実録』では都良香、『日本三代実録』では菅原道真と文章博士に引き継がれていくのである。

 『続日本後紀』をめぐる部分では、仁明天皇、藤原良相、伴善男、春澄善縄とかなり個性的な人物が、この史書の編纂にかかわって登場するのだが、それらがうまくまとめられているとはいいがたいし、実際に、まとまりにくい部分があったのかもしれない。その中で藤原良房が政治の実権を握り、歴史書の編纂の功績を打ち立てることで、二重の意味で歴史の勝者となっていったのが不気味に思われる。著者は「成熟する平安の宮廷」という章題を掲げているが、その「成熟」の意味について問いただしたい気分にさせられる。
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