ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(27-2)

4月23日(土)晴れたり曇ったり

 1300年4月12日の夕方、ローマ黄金時代の詩人ウェルギリウスに導かれて異界を巡歴していたダンテは煉獄の7つの環道を通り抜け、最後の贖罪の火をくぐって、煉獄山の頂上にある地上楽園へと続く階段を登ろうとする。煉獄でその罪を浄め、天国へと向かおうとするローマ白銀時代の詩人スタティウスが2人に同行する。階段に差し掛かったところで日が暮れ、彼らは各々が一段を寝床として休むことになる。

あの時、私達三人はそうやって夜を過ごした。
聳える崖に両側から挟まれて
私は山羊のようであり、あの方たちは牧人のようだった。

そこからは外がわずかしか見えなかったが、
しかしその狭まった中に、いつもより明るく大きな
星を私は見ていた。
(404ページ) ダンテの見上げる夜空は、崖に遮られて一部だけにすぎないが、星の輝きは普段に勝っているように思われる。ダンテの宇宙観では、天国は月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天、恒星天、原動天、至高天から構成されていて、恒星の光は天界のメッセージとも受け取れる。そして彼は眠り込むが、その夢の中に1人の貴婦人が現われる。彼女は旧約の「創世記」に登場する族長ヤコブ(全人類の象徴)の妻レアであると名乗る:
「・・・
私は歩きながら美しい手を
まわりに伸ばして自分のために花輪を編む。

鏡で自分を愛でるため、ここで自分を飾る。
けれど私の妹ラケルは決して鏡の前から
動こうとしない。そして一日座っている。」
(405-406ページ) レアとラケルの姉妹は、ここではレアが「神に至るための能動的な生」を、ラケルが「神に至るためのもう一つの道、観想的な生」を象徴するものとして描かれている。2人は旧約聖書によると、ヤコブの伯父であるラバンの娘で、「レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた」(創世記29-17)。この2人と、彼女たちの侍女たちから、イスラエルの12支族の先祖となる兄弟たちが生まれるのだが、それは別の話ということにしておこう。レアとラケルの描き方が、必ずしも旧約聖書の文脈に即したものとは言えないことだけ、注目しておけばよいと思う。

 ダンテが自分の魂の故郷である天国に近づいていることを喜びながらめざめると、すでに彼の同行者たちは目を覚まし、立ち上がっていた。ウェルギリウスは、ダンテに向けて次のような祝福の言葉を述べる:
「あの甘き果実を多くの枝の中に
探しながら必滅の者達の思いは歩んでいくが、
今日、それがおまえの飢えを満たすであろう」。
(406-407ページ) ここで繰り返し述べられているのは、天国に向かう道がひとつだけではないということ、人間の生き方は多様でありうるということである。そしてさらにウェルギリウスは、ダンテが自分の導くことのできる全行程を終えたことを告げ、あとは自分の力で進んでいくように言い渡す:
「・・・
これからはおまえの望みを導き手とせよ。
おまえは坂道を通り抜けた。狭い道を通り抜けた。
・・・

我が言を、我が許しを待ってはならぬ。
おまえの意志は、自由で、まっすぐで、健やかなのだ。
その意志の判断に従わぬことこそ過ちとなるべきだ」。
(409ページ) 新約聖書の「マタイによる福音書」に「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入るものが多い。/しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出すものは少ない。」(7-13,14) ダンテは既に地獄の広い門と、煉獄の狭い門をくぐっている。さらに彼は煉獄山の頂上にある地上楽園に向かう。浄罪の火を潜り抜けたことで、ダンテは天国によりふさわしい存在となっている。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR