歴史の中の浦島太郎

4月12日(火)晴れ

 遠藤慶太『六国史――日本書紀に始まる古代の正史』の中で、『日本書紀』に浦島太郎の原型である浦嶋子が登場するという話が出てくる。古代の人々が語り伝えていた伝説の中で漠然と雄略天皇の時代のこととされていた説話に、『日本書紀』の編纂者はあえて具体的な時間を与え、雄略天皇22年7月のことであるとする。
 その一方で平安時代の末に書かれたと考えられる『水鏡』には淳和天皇の天長2年(825年)7月7日に浦嶋子が帰ってきたと記されている。それで、浦嶋子は蓬莱山(後の浦島太郎の説話では竜宮)に347年間いたと計算される。(なお、『水鏡』には浦島の出発についても記述されている。)

 『水鏡』は、平安時代の比叡山の僧であった皇円が神武天皇から堀河天皇までの歴史を編年体でまとめた『扶桑略記』という漢文で書かれた書物を和文で簡潔にまとめたものであるというのが定説である(ただし、『水鏡』が対象としているのは、神武天皇から仁明天皇までの歴史である)。2009年に吉川弘文館から出版された三舟隆之『浦島太郎の日本史』によると、『扶桑略記』の347年という数字に基づいて、『水鏡』は年代を割り出したらしい。三舟さんは、この書物をまとめるにあたり、浦島の伝説を記した平安時代までの様々な書物について目を通しているが、浦島が蓬莱山にいたのは348年であるとする書物もあるそうである。

 347年というのはずいぶん長い時間で、浦島は古墳時代の終わりごろに日本から旅立ち、平安時代の初めになって戻ってきたわけで、この間に人々の暮らしぶりはずいぶん変化したはずである。もっとも我々はむかしのことを考えるときに、都に住む社会の上層の人々の暮らしぶりをすぐに考えるが、地方に住む庶民の暮らしぶりの変化は、それほど顕著なものではなかったかもしれない。なお、その後の浦島伝説の中には、浦島は竜宮に800年いたというようなものもあるという。現在から347年さかのぼれば江戸時代のまだまだ初めの方ということになるが、800年さかのぼると鎌倉時代のこれまた初期ということになる。

 しかし、もっと別のことを考える必要もあるのではないか。浦島の事績を記した『日本書紀』が最終的にまとめられたのは養老4年(720)のことであり、『水鏡』が書き終えられた年代は不明であるが、12世紀の終わりごろと考えられている。ということは、両者の間に450年以上の時間的な隔たりがあるということになる。この隔たりは、浦島が竜宮にいた期間よりも長い。そしてそれは歴史というものについての考え方、歴史の中での伝承のとらえ方の変化と無縁ではないはずである。研究者によると『水鏡』は歴史を間接的・暗示的に描きだす中で、仏教的な末法観を浮かび上がらせようとしている点で同時代の他の歴史書とは異なる特色を持っているという。

 浦島太郎の出発が「六国史」の中の『日本書紀』に記され、帰還が「四鏡」の中の『水鏡』に記されているというのは、日本人の歴史に対する見方の変化を辿るうえで、興味ある手がかりを提供しているのではないか。加えて言えば、「鏡物」は歴史というよりも文学であろうが、文学のほうが歴史観を含めて時代の精神をよりよく語るということもありうると、私は思っている。
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