ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(26-2)

4月9日(土)晴れ

 1300年4月12日、ウェルギリウスに導かれてダンテは煉獄の第7環道に達した。ここでは淫乱の罪、詳しくいえば、同性愛者たちと中庸を逸脱して獣的な異性愛に走ったものの、自分の罪を悔い改めたことにより、地獄に落ちなかった魂たちがその罪を浄めている。炎に焼かれて罪を浄めている魂たちの中で、ダンテに話しかけたのは、文学史上<清新体派>と呼ばれる詩風の創始者であるグイド・グィニツェッリであった。ダンテ自身もこの詩派に属していたから、この詩人の魂には敬意を表す。

私や、さわやかで雅びな愛の歌を幾度も書いてきた、
私よりも優れた他の人々の
父ともなられた方がご自身で名乗られるのを聞いたその時に、

そして私は聞くことも話すこともせず、思いをめぐらせながら、
長いこと彼を見つめて歩いた。
けれども火のために、それ以上は近づかなかった。

心ゆくまで彼を見た後で、
彼の求めにはすべて応じる用意があることを
相手に信頼を与える誓いとともに申し出た。
(389-390ページ) 

 するとグィニツェッリは、ダンテが生きているのに異界を遍歴していることが生前の記憶を棄てて異界で生きている自分にとってさえ記憶される出来事であると言いながら、ダンテが自分に敬意を払っているのはなぜかと問う。
そこで私は彼に、「あなたのさわやかな愛の詩ゆえに、
それは、今の世における言の葉の習いが続く限り、
その詩集を愛でさせるでしょう」
(390ページ)と答え、グィニツェッリの愛の詩が不滅の文学的価値をもつという(本当のところ、ダンテが彼について言及したから、文学史家たちも彼を重んじてはいるが、一般大衆が彼の詩を口遊むことはないだろうという気がする)。

 すると、グィニツェッリは自分よりも前を行く一人の魂を指さして
「母なる話し言葉での最良の詩の作り手だった」(391ページ)と称賛する。賞賛されたのは、プロヴァンス語で詩を書いたアルノー・ダニエル(1150頃‐1210頃)である。ダンテが「母なる話し言葉」というのは学校やその他の場所で文法規則とともに教えられる言語ではなく、生れつき生活の中で習得されていく言語であった。具体的にはラテン語ではなくて、イタリア語や古プロヴァンス(オック)語であった。
 そして、アルノー以外ではジロー・ド・ボルネイユ(1100年代後半―1200年代初頭)は俗受けのする詩を書いてはいるが、それは人々が24歌で言及されたグイットーネ・ダレッツィオを賞賛したのと同じように賞賛された。けれども、今や彼らの作品は否定的な評価を受けているという。そして、グィニツェッリは自分の魂のために、ダンテが天国で主と対面したときには、主の祈りを唱えてほしいといって、去ってゆく。次に、ダンテに話しかけたプロヴァンスの詩人アルノーは、
今、君に頼む、君を階梯の頂まで導く
あの御力にかけて、
時至ればわが苦しみを思い起こしてくれんことを
(394ページ)との言葉を託して、やはり自分の罪を浄める炎の中に姿を消していく。詩人として、いかに愛の言葉をつづるかよりも、自分の魂が早く天国に到達することの方が大事なのである。
 神の愛を、詩という形で、いかに人々に伝えることができるのかというのが第22歌からこの第26歌までのダンテの課題であり、愛は世界のあり方と人間の発生の仕方そのものであるととらえることで、この課題に答えようとしている。

 いよいよ、ダンテの煉獄における遍歴も終わりに近づこうとしている。この先、どのような体験が、彼を待ち受けているのであろうか。 
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR