北杜夫と蛭川幸茂

4月5日(火)朝のうちは雨が降っていたが、その後は曇り

 最近、北杜夫『どくとるマンボウ青春記』(中公文庫)を読み返している。この書物の多くの部分が著者の旧制松本高校時代の思い出を語っていて、戦後の学制改革によって姿を消してしまった旧制高校の教育を懐かしみ、賛美する文脈で言及されることが多いが、詳しく読んでみると、否定的な部分についても目を向けてゐることが分かる。若さに任せた愚行や蛮行は青春にはつきものである。多くの旧制高校生の生活が、そのような行為と結びついていた。それをしも、懐かしむ人もいるだろうし、顧みて忸怩たる気持ちになる人もいるだろう。思い返すと恥ずかしくなるような部分を含めて、旧制高校はよかったと語っている本であるという印象を強く持った。よかった――と思う第一の理由は、教師と生徒の関係にあると、この本は言おうとしているようである。

 人並み以上に諧謔を好んだ北のことであるから、旧制高校の変っているところ、奇妙なところを強調しすぎているきらいがある。本人も「わざとおかしな例ばかり書いたが」(62ページ)と断っている。北が旧制松本高校に在学していたころの先生や友人などの奇行愚行の数々が列挙される。この本が書かれたときには存命であった人が多かったから、特に名前を挙げなかったり、イニシアルだけで出てきたりする場合が多いのは仕方がない(しかし、悪いことはできないもので、かなりの部分の実名が判明している)。
 ただ、教師の中では彼にドイツ文学とトーマス・マンへの興味を植え付けた望月市恵と、旧制松本高校の名物教師であった蛭川幸茂(1904-1999)の2人は実名で語られている。そのことに、この2人への北の敬慕の気持ちがあらわされているとみるべきであろう。(友人の中ではTというのが2人出てきて、一人が実は辻邦生であることが明かされているが、もう1人のTは国文学者で大学の先生をしているというだけ記されていて、最後まで実名は明かされていない。)

 さて、蛭川幸茂は東京の生まれだが、早く名古屋に移り、旧制中学4年修了で旧制第八高等学校に進学、その後、東京大学に進んだ。専門は数学であるが、陸上競技に熱心に取り組み、松本高校にその指導に出かけたのがきっかけで、教えることになったといわれる。普通より1年早く大学を卒業してすぐ旧制高校の先生になったので、その時点では日本で一番若い旧制高校の教師であり、松本高校の中には32人も彼より年長の生徒がいたという。「髭づらで容貌は野武士のごとくである。しかし、その目はすこぶる優しい。旧制高校を愛し、高校生を愛したことこの先生に比すべきものはあるまい」(63ページ)と北は記す。どのような教え方をしていたかは、実際に本を読んでみてください。

 この本にも書かれているように、戦後の学制改革で旧制高校がなくなり、新制大学の一部になることになったが、旧制高校に愛着を持っていた彼は、それ以外の学校で教える気になれず、思案の末、小学校の先生になった。この本にはそこまでしか書かれていないが、4年ほど小学校に勤めた後、愛知学院大学に迎えられ、その一方で、名古屋大学でも教えるようになった。名古屋大学では教養部の数学を担当した。名古屋大学の教養部は蛭川の母校である第八高等学校が戦後の学制改革で姿を変えたところである。
 むかし務めていた大学の同僚の1人が、名古屋大学で蛭川の授業を受けたという話を聞いたことがある。数学の話ではなくて、旧制高校時代の思い出を喋りながら、なにか書きつけている。後で気が付いたことだが、そうやって書き留めたことを何冊かの本にまとめたのであった。『落伍教師』以下、蛭川が旧制高校の思い出をつづった書物は何冊か出版されていて、古本屋のカタログや図書館の目録で見かけることがある。そのうち、機会を見つけて読んでやろうと思う。

 「わざとおかしな例ばかり書いたが」と書いた後に、北は「旧制高校の先生のよい点は、生徒と一緒になって人生を語り、親身になって相談に乗ってくれることであろう」(62ページ)と続けて、旧制高校のよい点が、教師と生徒との関係にあったことを指摘している。蛭川の場合、就職した当初、生徒たちとあまり年齢が変わらなかったことで、親近感を持っていたのがずっといい影響を持ち続けたのだろうが、もっと別の個性を発揮していた他の教師たちには他の教師たちの事情があっただろうと思う。「生徒と一緒になって人生を語り、親身になって相談に乗ってくれる」ような教師は、現在の日本でもやはり望まれるわけだが、そういう教師になるまでの経路はいろいろあるはずで、その経路と個性の多様性を打ち消すような教育のあり方は、たぶん、否定的な結果しか生み出さないはずである。

 北が最後まで実名を明かさなかった、もう1人のTという友人は、国文学者でお茶の水女子大の名誉教授である堤精二だそうである。北があるところで講演をすることになって控室で青ざめていると、突然堤が現われてニヤリと笑ったので、北はすっかり逆上してでたらめな講演をしてしまった、以来、講演はすべて断っていると書いて、「この友人が大学の教壇ですました顔で講義をしているところを一度ぜひ見に行ってやろうと考えている」(162ページ)と結んでいるが、「友人」の勤務先が女子大であることを知っていると、北の思いがどこにあるのか、分からなくなってくるところがある。 
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