宮下奈都『太陽のパスタ、豆のスープ』

4月4日(月)朝のうち雨、その後、曇り

 4月3日、宮下奈都『太陽のパスタ、豆のスープ』(集英社文庫)を読む。文庫本のコーナーに平積みにされていた本の題名を見て、地中海周辺の食べ歩きエッセーかと思ったのだが、中身を立ち読みした限り小説らしかったが、料理の話が出てきそうな感じだったので買ってみた。同じ著者の『窓の向うのガーシュウィン』も一緒に買ったのは、この作家の作品はすぐに読めそうだという見通しが立ったからである。(すぐに読めるような本と、なかなか読めないような本を混ぜて読むのが、私の読書のやり方である――実際は、なかなか読めない本を最後まで読み通すことはあまりない。)

 結婚式を2か月後に予定していた明日羽(あすわ)は、突然相手から婚約を解消される。失意の中に落ち込んで何もする気が起きないでいる彼女に、若い叔母のロッカは”ドリフターズ・リスト”を作ることを提案する。「やりたいことを全部リストにするの」。

 それまで父親、母親、フリーターの兄と同居していた(兄と違ってずっと正社員であることを続けてきたことをひそかに誇りにしていた)明日羽は、親の家を出てロッカの住むアパートに近い、別のアパートに引っ越すことにする。幼馴染で女装家の美容師の京に髪を短くカットしてもらう。結婚資金としてためていた200万円を使ってしまおうと、(実は結婚後の生活のために買おうと思っていたのだが)高い鍋を買う。きれいになろうと京の知り合いのエステティシャンにもとに出かける。書き直したり、書き足したりしながら、リストに書き連ねたことを試していく。

 ロッカさんが料理が下手であること、それに対して自分が上手であるらしいこと、今まで気付かなかったことが生活の変化とともに見えてくる。ロッカさんと出かけた青空マーケットで会社の同僚である同僚の郁ちゃんが豆の店を出しているのを見かける。彼女は豆のスープに力を入れているのだが、炎天下で売れ行きが悪い。冷たいスープを作ったのだが、暑さで氷がとけてしまったという。手伝うつもりで氷を買いに出かけた明日羽は、熱中症で倒れてしまう・・・。

 婚約破棄をきっかけとして、明日羽は生活を変えようとしたのだが、そのために、郁ちゃんの豆に対するこだわり、自分の母親がイタリアに興味を持ち、イタリア語を勉強していること、兄がソムリエの資格を取ろうとしていることなどなど、それまで見えていなかったことが、見えてくる。会社での仕事ぶりも変わって来て、同僚たちから能力を認められる。その一方、エステティシャンの桜井さんからはやりたいことのリストではなくて、不可能なことのリストを作った方がいいといわれる・・・。

 「豆のスープ」は物語の中で大きな役割を演じているが、「太陽のパスタ」らしい物は出てこない。あるいは、それこそが将来に期待される明日羽の可能性であるのかもしれない。すべきこと、したいことのリストを手元において、点検しながら生きていくことも必要な場合があるが、手元になくてもすべきこと、したいことが分かっている生活のほうが好ましいのではなかろうか。

 作者である宮下さんは、20代後半の明日羽よりも、彼女の母親よりもだいぶ年下の妹だというロッカの方に近い年齢でこの作品を書いたはずである。一族の中では明日羽とロッカだけが、そこらにはあまりない、変わった名前である。物語は明日羽の一人称の語りで進むが、その軸になっているのは2人の交流である。なお、宮下さんは福井県の出身だそうだが、福井市内には足羽(あすわ)山という山があり、また足羽川という川が流れている。ロッカは六花と書く――ということは雪のことで(ふつうは、リッカというのではないかと思う)、何らかの思いがこもった命名のようである。

 明日羽の一人称で語られる、彼女の生活と生活態度の変容の物語なのだが、まだまだ大きく変容しそうな気配を見せながら物語は終わる。一人称で語られることで、気づきにくくされているが、彼女を取り巻く人間関係は、全体として暖かい。特に希薄なようでいて、彼女の家族がまだその結びつきを失っていないことが示されている。婚約破棄直後、母親に優しい声をかけられた明日羽はこんな感想を述べる:「母親って大変だ。こういうとき痛感する。娘を心配して逆に怒鳴られ、八つ当たりされる。割が合わないのもいいとこだ」(18ページ)。そう思うならば、八つ当たりしなければよいのだが、あたってしまう。そういう親子の依存関係は、必ずしも誰にでもあるわけではなく、京の場合にはないらしいことも触れられていて、作品の奥行きができている。作者の人間観察が、今後どのような方向に進んでいくか、その点にも興味が持たれる。
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