晩春

3月28日(月)朝のうち雨、その後晴れたり曇ったり

 神保町シアターで「生誕110年 女優 杉村春子」特集上映の中から、稲垣浩監督の『手をつなぐ子等』(大映京都、1948)、小津安二郎監督の『晩春』(松竹大船、1949)を見る。最近、小津安二郎作品への関心が高まっているように思われるし、『晩春』に主演した原節子が昨年死去したこともあり、『晩春』を取り上げることにする。それにしても、杉村春子が「生誕110年」というのはまったく意外で、もっと若いと思っていた。女優の年齢というのは一種の謎で、その謎解きが映画や舞台での演技に接する際の楽しみの1つでもある。

 『晩春』は『長屋紳士録』、『風の中の牝鶏』に続く小津の戦後第3作であり、一般にこの作品から戦後の小津の作風が安定したものとなっていったと評価される。高橋の評伝が記すところによれば、シンガポール滞在中に小津が見た多くのアメリカ映画、『風と共に去りぬ』や『市民ケーン』、そして「ジョン・フォード、ウィリアム・ワイラー、ウォルト・ディズニー・・・日本じゃまだ誰も見ちゃいないんだ。ワイラーの真似をしてるだけでも、4,5年はやって行けるぜ。そうしてる中には、シンガポールで仕込んだ肥料がジワジワと効いて来る」(高橋治『絢爛たる影絵』、文春文庫、400ページ)。その効き始めた作品であった。

 大学教授の曾宮周吉(笠智衆)は、妻に先立たれ、27歳になった娘の紀子(原節子)と2人で鎌倉で暮らしている。戦争中の無理がたたって体を壊した紀子は婚期に遅れ、周吉の妹である田口まさ(杉村春子)は何とか彼女に良縁を見つけようとする。曾宮の助手をしている服部(宇佐美淳)は好青年で、紀子とも仲がいいが、すでに紀子の後輩と結婚の予定であることが分かる。曾宮家と親しい小野寺(三島雅夫)も妻に先立たれたのだが、再婚している。紀子は小野寺が再婚したことについてあまり好意を持たない。小野寺の娘のアヤ(月丘夢路)は紀子の親友であるが、結婚に失敗して速記者として自立している。紀子はまさから縁談を進められるが、父親が自分なしは生活できないのではないかと気になってなかなか結婚に踏み切れない。まさは周吉に再婚の可能性があることをほのめかし、周吉もそれを否定しない…。

 あらすじからわかるように、この映画は結婚が主題となっている。ところが監督である小津、主演の原節子、そして彼女に結婚を勧める杉村春子の3人は、ともに生涯独身であった。象徴的であるのは、見合いも、結婚式も、紀子の結婚相手さえも映画の中で登場しないことである。
 北鎌倉の駅(この映画が撮影されてから60年以上たつのだが、あまり変わっていないのがすごいと思う。当時、松竹の撮影所の最寄り駅であった大船の次の駅なので、スタッフはごく身近な感じでとらえていたのであろう)の描写から、茶道の教室でのまさと紀子の出会いという映画の発端から、動きの少ない、安定した画面の中で、登場人物たちの心の中の動きを押し殺した描写の中で物語が展開していく。最後の方で、周吉と紀子が京都に旅行するシーケンスがあり、竜安寺の石庭を見ながら、周吉と京都で合流した小野寺が会話する場面がある(同じ対象物を眺めていることを確認することによって、意志の疎通を確認するのが伝統的な日本のコミュニケーションのやり方である)。一方で伝統的な文化や暮らしがあり、他方で戦後の新しい風俗(海岸にコカ・コーラの宣伝の標識が立っていたりする)がある。しかし、そのような雅俗(伝統と現代)の折衷、伝統を完全に否定せずに、取り入れられるところから少しずつでも新しい文化・風俗を取り入れていくのも日本の伝統と言える。

 杉村春子は『手をつなぐ子等』での演技を認められてこの作品に起用され、その後、小津作品には欠かせない演技者の1人となった。高橋治によると、小津が「信頼からくる溢れる優しさで接した」(高橋、同上、60ページ)女優が杉村であった。読み合わせに参加しなくても、舞台との掛け持ちで出演しても文句をいわれなかったという。『秋日和』の打ち上げパーティの際に、1番バッターだといわれた岡田茉利子が、「私が一番で、なら、四番はだれ」(高橋、同上、251ページ)ときいたところ、
「うん、杉村さんだよ」
「杉村さん」
「うん、若い中(うち)はね、一番で良いんだよ」
 四番打者に求められるのは塁上の走者を生かす安定感のある打撃である。加えて、小津は杉村の演技に松竹の撮影所が蒲田にあったころの残影を見ていたのではないかとの推測もなされている。この後、高橋は小津が自分の映画の配役についてどのような構想を持っていたかを推測している。それについての論評ができるほど、私が小津作品を見ていないのが残念である。

 小津の映画作りの長所を認めてはいても、動きの少ない、省略の多い、小津の映画のつくり方には彼の助監督を務めた多くの映画青年たちが反発し、彼のもとから離れていったと、高橋治は記している。「先輩である斎藤武市も、今村昌平も…小津組を去ったと聞いている。わたしもそんな1人だったにすぎない」(高橋、同上、19-20ページ)。ここで言及されている斎藤武市の名が、クレジット・タイトルに名を連ねた4人の助監督の末尾に記されている。ということはおそらく、この作品の撮影時にカチンコをたたいていたのは斎藤であって、やたらテストを繰り返して、画面の中の絵を完成させようとする小津の映画作りに対する反発が、撮影の進行にかかわる中で芽生えていったはずである。ただ、斎藤の場合、反発はしても、小津を超える作品を作ることができなかったという問題はある。

 原節子について書くのを忘れていた。彫りの深い顔立ちで、照明によって、その表情が大きく変化する。周吉と紀子が能を鑑賞に出かける場面があり、そこで周吉が再婚を考えているという女性に出逢うのだが、能面が縁者の動きによって微妙にその表情を変化させるように見えることを考えると、父娘の対立のきっかけの場として選んだというだけでなく、映像的な効果によって心理の動きを物語ろうとしているようにも思われる。同じことの繰り返しになるが、もっと小津作品を見ないと、はっきりしたことは言えそうもない。

 本日はこの作品についてまとめることで時間を掛けてしまい、他の方々のブログを訪問する時間をとることができなかった。明日は(と言ってもすでに29日になっているのだが)十分に時間を掛けて、訪問・拝読するつもりである。ご了承のほどを。 
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