『太平記』(95)

3月20日(日)晴れたり曇ったり

 元弘3年(1333年、なお、光厳天皇のもとで用いられた年号によれば、正慶2年)5月7日、足利高氏は丹波の篠村から方向を転換して六波羅を攻撃、これに千種忠顕、赤松円心らの軍勢も呼応して幕府軍を大いに破ったので、六波羅の2人の探題は鎌倉を指して逃亡したが、5月9日、東山道の番場の峠で大軍に包囲されて進退窮まり、432人の武士が自害した。2人の探題とともに東国に向かわれていた光厳天皇、後伏見・花園両上皇、東宮の康仁親王らは京都に帰還された。
 東国では、5月8日に新田義貞が上野国生品明神で倒幕の兵を挙げ、鎌倉を脱出した足利高氏の子千寿王(後の足利義詮)が合流すると、諸国の武士たちがこの軍勢に加わり、20万を超える大軍となって鎌倉に迫り、18日には三方から鎌倉を包囲・攻撃、21日に義貞の率いる兵は稲村ケ崎を渡渉して鎌倉市中に入り、22日には東勝寺に籠もっていた得宗の北条高時以下873人が自害して、鎌倉幕府は滅亡した。

 5月12日伯耆の国の船上山で六波羅探題滅亡の知らせを受けた後醍醐天皇は、5月23日に上洛の途に付き、播磨の書写山円教寺、法華山一乗寺などを経て、30日、兵庫の福厳寺で新田義貞からの早馬により鎌倉幕府滅亡の報せを受けた。赤松一族や楠正成らに警護された天皇一行は、6月5日に東寺、6日に二条内裏に入り、その日、足利高氏・直義兄弟はそれぞれ治部卿と左馬頭に任じられた。

 京都は足利高氏ら、鎌倉は新田義貞らの武功によって平定されたが、鎌倉幕府によって九州に派遣された一族や、彼らに心を寄せる武士たちの勢力は侮ることができないと、京都では摂政関白二条兼基の子である二条大納言師基を大宰府の帥に任じて、鎮西探題である赤橋英時を攻撃するように計らった。英時は、鎌倉幕府の最後の執権で、洲崎の陣で自刃した盛時の弟であり、足利高氏の正室登子はその姉妹である。『太平記』の作者が「帥」と記すのは誤りで、正しくは「権帥」である。「帥」は親王が任じられ、京都にとどまられていて、「権帥」が現地に赴いて、政務をとることになっていた。菅原道真のように「権帥」になって左遷されたと泣き暮らしていた人もいたし、藤原隆家のように日本に侵攻してきた異民族の武装集団刀伊を撃退し、その後の新羅との外交交渉に辣腕を振るった人もいる。

 師基の一行が九州に出発しようとしている時に、九州の菊池、少弐、大友という有力な豪族からそれぞれ「九州の朝敵、残る所なく退治候ひぬ」と申し上げてきた。その後事情を詳しく調べたところ、次のようなことが判明した。後醍醐天皇がまだ船上山にいらっしゃった頃に、少弐入道妙恵(貞経)、大友入道愚鑑(貞宗)、菊池入道寂阿(武時)の3人は心を合わせて、天皇にお味方するとの意思を伝えたところ、天皇の方から綸旨と錦の旗を下された。勤王の兵を挙げるという企てを3人は隠していたけれども、いつの間にか鎮西探題である英時の耳にそのうわさが入った。

 最近、刊行された近藤成一『鎌倉幕府と朝廷 シリーズ日本中世史②』(岩波新書)によれば、赤橋英時は少弐貞経、大友貞宗に島津貞久らの武将に攻められて滅亡した。貞経、貞宗、貞久がそれぞれその名に貞の字を用いているのは、北条高時の父親であった得宗貞時の一字を与えられたものである。このように、幕府あるいは北条氏と近い関係にあったはずの一族が幕府を裏切っている。敵味方が、一瞬のうちに変化しかねない時代の流れがこのあたりによく表現されている。なお、少弐氏というのは、代々大宰府の次官である少弐を職としたことによりついた家名でもともとは武藤氏である。歴史上では平将門を討伐し、伝説では近江の国三上山のオオムカデを退治した俵藤太こと藤原秀郷の子孫であると称していた。菊池氏は藤原隆家の子孫、大友氏と島津氏は源頼朝のご落胤の子孫を称していたが信じるだけの根拠はない。

 『太平記』の作者はそこまで立ち入っていないが、九州にもともとから土着して勢力をのばしていた武士たち、さらに元寇に際して防備を固めるために他の場所、とくに東国から移ってきた武士たちは、自分たちの必死の戦いに対する恩賞の少なさに不満を持っていたので、それが幕府に対する不満、さらには武力行使につながったのであろう。彼らは幕府だけでなく、お互いに対してもさしたる信頼を持たず、それがこの後の行動にも反映されているとみるべきである。

 英時は彼らの裏切りが本当かどうかをよく確かめようと、まず菊池入道寂阿を博多に呼んだ。菊池はこの呼び出しの意図するところに気付いて、おそらくは自分たちの陰謀が露見したために自分を殺害しようとして呼び寄せているのであろう。相手が先手を打ってきた以上、こちらも覚悟を決めて博多に攻め寄せ、一か八かの勝負を掛けてみようと思って、かねてから約束をしてきた少弐、大友のもとにこれまでの次第を知らせた。報せを受けた少弐と、大友はどうしたかをめぐってはまた次回。
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