母よ、

3月19日(土)雨が降ったりやんだり

 渋谷Bunkamuraル・シネマで『母よ、』を見た。イタリアのナンニ・モレッティ監督の最新作で、もともとの題は"Mia Madre"(私の母)、ヒロインである映画監督のマルゲリータが、個人的な様々な問題を抱えながら、病床にあって次第に衰えていく母親と向き合うという内容で、「私の母」という原題には仕事に終われて母の世話は、同居している兄に任せきりで、入院している母を見舞うだけのヒロインにとっての「母」の意義、さらには「母」との関わりを問う意味が込められているのであろう。

 ある会社の従業員の削減の問題をめぐる労使の対立を描く映画を監督中のマルゲリータ(マルゲリータ・ブイ)は、映画の主題がなかなか理解されないこと、また映画製作上の様々な問題に頭を悩ませているだけでなく、恋人とは別れたばかり、前の夫との間にできた娘は悩み事を祖母には打ち明けても、母親には打ち明けない。その祖母=彼女の母は、兄のジョヴァンニ(監督のナンニ・モレッティ自身が演じている)とともに暮らしていたが、心臓だか肺だかを悪くして(正確な病名が分からないのも悩みの種である)、入院中で、大したことはないと思いたいのだが、実は次第に衰弱が進んでいるのに気づかない(あるいは気づこうとしない)。

 彼女が製作中の映画に登場する社長の役を演じるため、アメリカからやってきた俳優のバリー(ジョン・タトゥーロ)は気性が激しく、自己主張が強いだけでなく、イタリア語の台詞をなかなか覚えられず、正確に発音できずということもあって、マルゲリータとは何度もぶつかり合う。(マルゲリータを、マルガリータというのも、彼女には気に入らないようである。) 家族や個人の問題を取り扱う映画が多い中で、社会的な問題を取り上げている映画を製作している監督自身が、実は家族や個人の問題で悩んでいるという皮肉な展開が、登場人物に過度の感情移入をしないようにする歯止めとなるはずである。

 高校のラテン語教師であった母親には友人や、彼女を慕う教え子たちが大勢いて、はたして彼らを彼女に会わせるほうがよいのか、体に負担をかけないために会わせない方がよいのか、母親の世話をしている兄にも判断できないことがある。その相談を持ち掛けられても、マルゲリータには判断ができないところがある。兄は仕事を休職し、さらにやめようかと思っているようなのだが、身内の人間とこの問題をめぐる相談はしていないようである。祖母はしっかりしている部分と、そうでない部分が目立ち始め、しっかりしている部分では、孫娘にラテン語を教え、まだまだ生きていたい様子であるが、医師たちの判断は違う。

 目まぐるしい忙しさの中で、人間として、家族として、どのような価値を優先させていくべきか、それを考えることが煩わしくなってくる。現在と過去、現実と幻想の場面が交互に現れるこの映画のつくり方は、そうした煩わしさを強調しているようにも思われる。実は私はこの映画の登場人物たちよりも年をとって退職してから、ヒロインの母よりもかなり年をとった母と、その後で伯母の死を経験したので、自分の場合と、映画の場合を比べながら見ていた。入院している母親に付き添っていたマルゲリータが、母親を抱きかかえて歩こうとするところで、私よりもかなり体重の軽かった母親を抱きかかえようとして抱えられなかったその<重さ>を思い出してしまった。とはいうものの、長生きしただけいいこともあったのかなと、母と伯母について思う。映画の展開を終わりまで詳しく紹介することは避けたいが、重い、緊張感に満ちた経験を描くということよりも、その経験の先に、何があるかということの方に、監督の視線が向けられているように感じた。

 映画が終わった後で、何人かの観客が拍手をしていたが、その拍手が監督に届くことを願う。


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