ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(24-3)

3月7日(月)雨

 ダンテは、彼を案内してきたウェルギリウスと、自分の罪を浄めて天国に向かおうとするスタティウスの2人のローマ時代の詩人とともに、魂たちが飽食の罪を贖っている煉獄の第6環道を進み、ダンテの旧友フォレーゼ、生前、ダンテと対立する文学グループにいたボナジェンタに出会い、普遍的で神と結びついた愛を歌う、ダンテたちの清新体派が、地域的で利己的な愛を歌う詩人たちよりも優れた詩を生み出していることが彼らの問答の中で確認される。ボナジェンタたちが去っていった後、フォレーゼもダンテとの再会を願いながら、去っていく。

 フォレーゼが、ダンテの視界から消えると、
豊かに実って青々と色づいた別の樹の
茂みが、私の前、あまり遠くないところに現れた。
その時になってやっと私はそちらを向いたからだ。
(360ページ) この木の下で、人々がその実をもぎ取ろうと手を伸ばしているのが見えたが、木は人々の欲望をさらに掻き立てるように、どんどんその実を高いところに移していった。そして人々はそれを見て、あきらめて去っていった。
そして私達も忽ちに大木のところに来た。
多くの願いと涙を拒否してきた木だ。
(同上) このたわわな果実が実る美しい緑の樹は現世の悦楽の象徴だと考えられる。

「近寄ることなく越えて過ぎよ。
エヴァの噛んだ木はさらに上にあり、
この木はかの木から生じた」。
(360-361ページ)という声がどこからともなく聞こえた。「エヴァが噛んだ木」は、旧約の「創世記」に出てくる<知恵の木>である。木の実を食べて、善悪を知ることができるようになった人間は、そのためにかえって神から離れて虚栄に生きるようになった。(このあたりの考え方は、分かりにくいところがある。)

 木から離れよという、この言葉に従って、3人の詩人たちは自分たちだけで倫理的な瞑想にふけりながら足を進める。すると、天使の声が聞こえて、道を曲がって、さらに上の環道に進むようにと促す。

そして夜明けを告げる使者、
五月の大気が青草や花々であふれかえり、
香りをふりまきながらそよぐように、

一つの風が額の中心に
触れるのを私は感じ、同時に翼が動くのをはっきりと感じとった。
それはアムブロシアーの香りをかがせた。
(364ページ)  ダンテの額には彼の罪を表す7つのPの文字が煉獄の門をくぐるときに刻まれており、そのうちの5つが既に消されてきた。彼が額の中心に風を感じたというのは、そのPの文字がまた1つ取れたことを示唆する。「アムブロシアー」はギリシャ・ローマ神話の中の神々の食べ物であり、「不死の」という意味をもち、蜜よりも甘く、香りが高く、これを食べたものは不死になるという。煉獄山の頂上に設定されている地上楽園、さらには天国が近づいている気配が察知される個所である。

それからこう話すのが私には聞こえた。「あふれるほどの恩寵に
照らされるものは幸いなるかな。味覚への愛が、
過ぎたる欲望の煙でその者達の胸を塞がず、

正しきもののみ、常に飢えて求めるがゆえに」。
(同上) これは「マタイによる福音書」(5-6)の「義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。」を受けたものである。文脈から、「正しきもの」は神の正義であり、その中に中庸を守ることも入っていると考えられると、傍注に記されている。「義に飢え渇く」ことと、美食・飽食を求めることが対比的にとらえられているとみるべきである。

 こうしてダンテたちは第7環道へと進む。スタティウスにとっては、天国が近づいているということであるが、ウェルギリウスにとっては、またリンボに戻るときが近づいてきているということであり、3人の思いは一様ではないはずである。
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