日本列島

2月22日(月)曇り、一時雨

 2月21日、神保町シアターで「恋する女優芦川いづみ アンコール」特集上映の中から『あした晴れるか』(1960、中平康監督)と、『日本列島』(1865、熊井啓監督)を見た。その後で、上映された『霧笛が俺を呼んでいる』(1960、山崎徳次郎監督)も熊井啓が脚本を書いているうえに、横浜が主な舞台であり、さらに主演の赤木圭一郎は私の中学校の先輩という関係もあるので、見たい気持ちはやまやまだったのだが、3本連続で映画を見るのは負担が大きく、この映画は既に1度見ているので、やめることにした。(以前に、この映画を見たときに、当ブログで書いたのだが、キャロル・リード監督の『第三の男』が下敷きになった作品で、私は見ているうちに気付いたのだが、初めからそういうつもりで見ても、たぶん、それなりに楽しめる映画である。吉永小百合さんの映画入り2本目の作品であることも忘れてはならない。)
 さて、本題に戻って、今回は『日本列島』について書くことにする。吉原公一郎の「小説日本列島」を原作として、熊井啓が脚本を書いた社会派サスペンスで、日米間に起きた様々な事件の背後に、国際的な規模で様々な謀略を展開している機関の暗躍があるという設定で、1960年日米安保条約改定の前夜の緊迫した社会情勢を背景に、それ以前に起きたが、その謎の解明が続いていた下山事件や松川事件など実際に起きた事件や、実際に起きた事件をモデルにした架空の事件が入り乱れて展開される。下山事件を題材にした山村聰監督(鈴木清太郎=清順助監督)の『黒い潮』を思い出させる画面が登場したりする上に、舞台俳優が多く起用される地味な配役も手伝って、ドキュメンタリー風の仕上がりになっている。

 1959(昭和34)年秋、SキャンプCID(犯罪調査係)に転任してきた米軍のポラック中尉は、かつて自分の部下であったリミット曹長が、前年に沖縄に向かおうとしていた羽田空港で食事中に突然姿を消し、死体で発見された事件に不審を抱き、基地の通訳主任である秋山(宇野重吉)に個人的に調査を依頼する。リミット曹長の死体が発見された後に、アメリカ側は日本側の意向を無視して、無理矢理に死体を本国に運び去ったうえに、日本の警察を無視して一方的に事故死であったと発表して幕引きを図っていたのである。

 秋山は、終戦直後に北海道で教師をしていたが、新婚間もない妻が米兵によって暴行を受けて殺害されたにもかかわらず、事故死として処理された過去の経験があり、基地の通訳になったのもその犯人を突き止めるためであった。彼はこの事件に関心を抱く新聞記者の原島(二谷英明)らの助けを借りて、真相の究明を続けていく。
 リミット曹長のオンリーであった小林厚子(木村不時子)は、秋山の北海道時代の教え子で、死の床で、涸沢という人名と、ザンメルという言葉を残す。その後の調査でザンメルがドイツ製の精巧な印刷機であり、戦争中、敵のかく乱のために偽札製造などの目的で使用されたこと、その捜査にかかわった人物が行方不明になっていることなどが分かる。行方不明になっている人物の1人の娘で、現在は小学校の教師をしている伊集院和子(芦川いづみ)が最初は、口を閉ざしていたのだが、次第に父の失踪の事情など、事件にかかわる記憶を語るようになる。秋山は関係者の家族から嫌がられたりしながらも、次第に事件の内奥に迫っていくが、突然、ポラックから捜査の打ち切りを言い渡される…。

 日本の社会がアメリカへの従属によって、目に見える形、見えない形で影響を受けているというレベルでこの映画の主張を受け止めるか、それともある種の陰謀の存在を事件の背後に見るかというところで、映画の評価は違ってくる。中島貞夫の『戦後秘話 宝石略奪』などという映画は、後者の要素を強く持った作品であり、その分、娯楽性が強くなっていた。映画の内容にあまり立ち入らずに、問題提起の意味をもつ作品として評価しておいた方がよいと思う。

 もう一つ指摘しておきたいのは、映画における配役・演出をめぐる問題である。1974年頃のことだったと思うが、京都に北大路トウラスという高林陽一が主宰するミニシアターがあり、そこで、大島渚を招いて映画ファンと語り合う機会を設けたことがある。その際に、ある参加者が、熊井の『忍ぶ川』には感動したが、大島の映画には感動したことがないという感想を述べ、大島が、そういうことをいってくれるのはありがたいというようなことを述べたという記憶がある。今考えてみると、この意見は、両者の演出の違いを見抜いていたものとして貴重である。大島は自分の思想表現の手段として演技を考え、それが客観的にどのように見えようと、自分の目から見て自然であればよいという考えていたのであろうが、熊井の場合は、客観的に自然に見えることを求めようとしたのであろう。だから、大島は配役について1に素人、2に歌歌い、3・4なくて5にスターなどと定式化してい(実際には、自分の気心のしれた「大島組」の俳優を使っ)たのに対し、熊井は新劇俳優を使うことが多かったという違いになって表れたと思われる。(大島が「うまい」俳優を必ずしも起用しなかったのに対し、熊井は「うまさ」にこだわっていたということである。) 映画におけるリアリズムとは何か、演出はいかにあるべきかということを考えるうえで、両者の対比は重要な示唆を与えると思う。

 以下は余談である:
 神保町シアターではロビーに上映中の映画作品の配役表を配布していて、もちろん、それは入手しているのだが、上映後、確認したいことがあって、あらためて配役表を見直した。その時に近くにいた人と、「一番悪い奴の1人を大滝秀治がやっていることを確かめたかったのですよ」「大滝秀治はいい役をやることの方が多いような気がする」「もっと昔は悪い役をやることもあったんです」「その頃はあまり映画は見なかったから…」というような会話を交わした。もっと落ち着いてそういう話をしたかったと思う。

 熊井啓は、この作品の後、裕次郎主演の『黒部の太陽』で興行的な成功をおさめ、その後に、井上光晴原作の『地の群れ』を製作するが、こちらはそれほどの評価を受けなかった。1969年の秋に私はコマーシャル映画の撮影の手伝いをしたのだが、その撮影を担当したのが、『地の群れ』で撮影監督をしていた墨谷尚之さんであった。その後、墨谷さんの名に出会ったことがないのが気がかりである。
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