瀬川拓郎『アイヌと縄文――もうひとつの日本の歴史』

2月12日(金)曇り

 2月11日、瀬川拓郎『アイヌと縄文――もうひとつの日本の歴史』(ちくま新書)を読み終える。縄文人とか弥生人とかいう言葉は最近ではしばしば聞かれるようになってきた。

 分かりやすく説明するために、昨年の7月から9月にわたってNHKカルチャーラジオ『私たちはどこから来たのか 人類700万年史』の中で講師の馬場悠男さんが解説していることを引用しておこう:
「私たち日本人は、全体としては、文化的にも遺伝的(生物学的)にも、渡来系弥生人の影響を強く受けているといえる。/古墳時代には、日本列島の中央部では渡来系の人々と縄文系の人々との混血が渡来系の人々の割合が多い状態で進んだが、周辺では縄文系の人々の影響が色濃く残っていた。なお、古墳時代末期から平安時代にかけては、オホーツク文化人が樺太から北海道北東部にやってきて、縄文人の子孫と部分的に混血したが、顔かたちにはほとんど影響を与えなかった。/現在の日本列島では、北部九州から関西を中心とするほぼ全国に渡来系弥生人の影響が強い本土日本人が住んでいる。もちろん、同じ本土日本人の中でも、渡来系弥生人の子孫と縄文人の子孫が均等にまじりあっている訳ではなく、周辺部ほど縄文人の影響が強いことは、形態学的な特徴だけでなく、遺伝的な特徴の研究でもはっきりしている。北海道では、縄文人の影響が強いアイヌの人々が3万人ほど住んでいる(各地にも散らばっている)。南西諸島では、縄文人と渡来系や偉人の影響がおよそ半々の琉球人が住んでいる。3つの集団とも、おおもとは縄文人だが、大陸から渡来した人々の影響をどれだけ受けたかによって、顔や身体の特徴が徐々に違ってきたのであって、その過程で、築いてきた文化も違っている。/したがって、日本人は単一民族ではなく、3つの民族によって構成されている。なお、圧倒的に人口の多い本土日本人は、過去にアイヌと琉球人を迫害したことを忘れてはならない」(NHKカルチャーラジオ『科学と人間』テキスト、135-136ページ)。過去に迫害ではなくて、現代でも差別はつづいているような気がするが、それはここでは深く追求しないことにする(「過去に」としないと、NHKで放送できなかったのかもしれないからである)。

 アイヌが日本の歴史の中でどのような位置を占めてきたかは、簡単には語り尽くせない問題である。この書物はアイヌの歴史を考古学的な方法を中心として研究してきた著者による、アイヌと縄文人、弥生人の関係、さらにまたオホーツク文化人の関係を含めてそれらの変遷とそれぞれの特徴を考察した問題提起の書である。書物の構成は次のようなものである:
はじめに
第1章 アイヌの原郷――縄文時代
第2章 流動化する世界――続縄文時代(弥生・古墳時代)
第3章 商品化する世界――擦文時代(奈良・平安時代)
第4章 グローバル化する世界――ニブタニ時代(鎌倉時代以降)
第5章 アイヌの縄文思想
おわりに
 今回は「はじめに」の部分だけを紹介する。この書物の出発点となる考え方や、基本的な概念が概説されているので、この部分だけを読んでも著者の意図は十分に理解できるはずである。

 「はじめに」で著者は自分自身が縄文時代の研究をしているが、縄文人を自分の祖先として身近に感じることはなかったが、「人類学の本に耳垢の乾いているのが弥生系、湿っているが縄文系と書いて或るのを読んで、自分の耳垢が湿っているので縄文人に親しみを感じているようになったと書いている。しかし、それ以上に著者が強い印象を受けたのは、西日本の漂海民たちの間に、抜歯や刺青という縄文時代にさかのぼる古層の習俗があったことを確認できたことであるという。また彼らの間には物の売買を忌避する縄文的な伝統も残されていたという。そしてこのような習俗や伝統をもっとも強く残してきた人々がアイヌであったというのである。

 そしてもともと日本列島の全域に住んでいた縄文人が、大陸から渡来してきた弥生人との接触の中で、次第にその文化を受け入れていったのに対し、北海道の縄文人は、弥生化を受け入れて農民となる道ではなく、縄文伝統の上に立って交易のための狩猟生活に特化していったのではないかと著者は考えている。とはいうもののアイヌの社会と文化は、本州との関係によって大きく影響されていた(交易がおこなわれていたのであるから当然のことではある)。逆に本州の文化、とくに山の文化の中には縄文時代の痕跡を残すものがあるかもしれないという。

 縄文文化を知るためには、アイヌの歴史を辿りながら、その生活や習俗の変遷を明らかにすることで分かってくるものが少なくないのではないかと著者は考え、アイヌの歴史を考えるうえでの基本概念と、時代区分について概説している。取り上げられているのは、アイヌ、旧石器文化、縄文文化、続縄文文化(本州以南における弥生・古墳時代に相当する)、オホーツク文化(続縄文時代の後期になって、サハリンから南下してきた海獣狩猟や漁撈に特化した海洋適応の生業をもち、続縄文人とは大きく異なる文化をもった人々、13世紀ごろまで北海道にとどまっていたが、最終的に擦文文化人に同化された。現在サハリンの北部などに暮らす先住民ニヴフは、彼らの子孫と考えられている)、擦文文化(奈良・平安時代に並行する時期のアイヌの文化)、ニブタニ文化(鎌倉時代以降に並行するアイヌの文化。この時期は北東アジアとの交流が盛んになる)である。

 この書物では縄文と弥生という単純な対比を避けて、両者の接触、交流の実態を探り、また縄文の中での様々な変化を詳しくたどっている。多様性の中の多様性を探ろうという意欲が見て取れるのである。それが具体的にどういうことかは、機会を改めてみていきたい。
 どうも私自身は、人類学的な形質からして、弥生人らしいのだが、ものの考え方や嗜好の点でむしろ縄文人的なものもあるかもしれないなと思っている。刺青を嫌い、公衆浴場などに入場させないというのは弥生人的(身体髪膚これを父母に受く…という東アジア的)な発想のようであるが、英国などでは高校生くらいの女子でも平気で刺青をしているのを見かけたものであり、縄文人的な習俗を奇異なものと考えない方がより一般的なのかもしれないと思っている(要するに自分の趣味を相手に強要しないことが重要である)。いずれにしても、このような個人間の差異を、何らかの価値と結びつけて優劣を判定するというようなことはやめるべきである。
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