潮木守一『アメリカの大学』

2月8日(月)晴れ

 2月7日、蔵書の整理をしていて見つけた潮木守一『アメリカの大学』(講談社学術文庫)を読み終えた。

 「この本には、1820年から1910年頃までのアメリカのカレッジや大学の変化の歴史が書かれている。つまり、この本にはアメリカでの出来事は書かれていても、日本のことはまったく書かれていない。またこの本には、昔話は書かれていても、現在や将来のことにはまったく触れられていない。

 なぜこの日本に住むわれわれにとって関係のない、アメリカの昔話を書いたりしたのか。その理由は簡単である。それは決して現在のわれわれに無関係ではないからである。

 それではどういう意味で関係があるというのか。(中略)

 ・・・このよその国の昔話のなかに,吾々が現に直面し、また近い将来直面するであろう諸問題が、すでに含まれているからである。過去は決して過ぎ去ってしまったのではなく、現在を示し、未来を予告し、さらには警告さえしている。つまり、過去のなかに閉じ込められ、ともすれば忘却のかなたに追いやられようとしている「現在」や「過去」を、できるだけ呼び戻してみようというのが、この本のねらいである。」(3-4ページ)と、著者はこの書物を書きはじめている。

 アメリカの1820年から1910年頃までの高等教育機関をめぐる改革動向とその結果のなかに、今日の日本の高等教育をめぐる様々な問題の多くが既に含まれているというのである。この書物は1982年に第一法規出版から、『教育学大全集』の中の「大学と社会」と題された1冊として出版され、1993年に講談社学術文庫の1冊として再刊された。私が持っているのは、その文庫本の方で、紀伊国屋書店のカバーから推測すると、まだ地方の大学の教師をしていたころに買ったようである。

 この書物の構成は次のようになっている:
第1章 伝統的カレッジの構造
第2章 早すぎた改革
第3章 改革への胎動
第4章 伝統的カレッジからの脱却
第5章 研究大学の登場
第6章 大学院大学の登場
第7章 アイデンティティの葛藤

 第1章では19世紀のアメリカにおけるカレッジの一般的な様子が描きだされている。カレッジの学生の多くはまだ十代で、寄宿生の大学の厳しい規律と、復唱中心の退屈な授業への不満を抱えており、より先進的な学術に触れようとドイツに留学するものが少なくなかったこと、そして帰国後ドイツに倣ってアメリカの大学を改革しようとするものもいたことが述べられている。
 第2章では1820年代にハーバード大学の学長であったジョージ・ティックナーの大学教育の改革の取り組みとその失敗が語られる。
 第3章では1828年にイェール大学の教育をめぐって、古典語中心の伝統的な教育を肯定する結論を取りまとめた『イェール報告』の影響と、にもかかわらずハーバードとイェールで科学教育への取り組みが開始されるようになった経緯が論じられている。
 第4章では1869年から1909年まで40年もの長きにわたって、学長として大学教育の改革に取り組んだハーバード大学のエリオット学長の取り組みの概要が語られている。
 第5章では1870年代にギルマン学長のもとで、大学院中心の研究型大学として発足したジョンズ・ホプキンズの出現とその余波について述べている。
 第6章ではジョンズ・ホプキンズの理念をさらに先鋭化し、大学院だけの大学として出発したクラーク大学の苦闘と、ロックフェラー財閥の支援の下に研究大学を含む総合的な大学として発展したハーパー学長率いるシカゴ大学の台頭の様子が描かれている。
 第7章では19世紀の後半から20世紀の初めにかけての、アメリカの大学が経験した研究と教育の対立、大学間のフットボール試合の人気が大学の様相を一変させたこと、研究型の教師と学生の人生相談に向き合える教師の対立に始まる、教師文化の多様性の問題など、大学のアイデンティティにかかわる様々な問題が取り上げられている。
 著者はアメリカの大学のここまでの歴史の中で、現代の日本の大学を含めて、大学教育が内包する様々な問題が出つくしていると考えているようである。特に「教育型教師」「研究型教師」「運営型教師」「学外活動型教師」というような大学の先生の類型化は興味深いものがあるのだが、著者自身は自らをどこに位置づけているのか気になるところである。(私自身は、「研究型教師」を施行しながら、足を引っ張られて「教育型脅威」に生きがいを見つけようとしたが、常に「運営型教師」であることを求められつづけて来たように思われる。)

 この書物全体を通じて著者の関心は一部の有名私立大学に向けられていて、モリル法については言及はされているが、その結果として全国で発展した州立大学とその役割について、それと関連して大学とそれを取り巻く地域社会の問題については十分に論じられているとはいいがたい。さらにニューディール時代以後に顕著になって来た政府の政策形成に対する大学の貢献、さらに第二次世界大戦後に巨大化した産軍複合体に対する大学の関与のようなより新しい問題については、多少ほのめかされている部分があるとはいうものの、十分に語られているとは言えない。アメリカの大学と日本の大学を考える際にもっとも重要な相違点である財政問題について、十分な考察がなされていないのも不満に思われる点である。

 とはいっても、この書物がアメリカの大学教育を概観し、日本の大学教育を考える際に重要な手がかりを与える書物であることは間違いない。ここから問題意識をどのように広げていくかは、読者それぞれが取り組むべき課題であろう。
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