『太平記』(88)

1月30日(土)雨後、曇り

 元弘3年(1333年)5月21日早朝、鎌倉を攻囲していた新田義貞の軍は稲村ケ崎を渡渉して鎌倉市中に攻め入った。市中に火が放たれ、幕府方から寝返るものが続出する中で、北条一門や得宗の被官の武士たちの中には飽くまで奮戦するものや、自害するものがみられた。

 北条得宗家の被官である塩飽新左衛門入道聖円(しょうえん)は養子である三郎忠頼を呼び寄せて、次のように述べた。鎌倉の防御線はことごとく破られて北条家一門の方々はほとんど切腹されたということなので、自分も北条高時に殉じて忠義を示そうと思う。おまえはまだ北条家に公式に仕えているわけではないので、ここで死ななくても、義を知らないと非難されることはないだろう。どういう形でもいいから脱出して、出家して養父の後生を弔い、またおまえ自身の罪障を償うのがよいだろう。これに対して、三郎は涙ながらに、私自身がご恩を蒙ることはなかったにせよ、わが家がこれまで存続してきたのは幕府(北条家)のおかげです。又私がはじめから僧侶であったのならば、ここで生き延びて仏道に専念するのもよいでしょうが、命を棄てるのが惜しさに出家したというのでは面目がたちません。と言ったかと思うと、袖の下から刀を抜いて、居ずまいを正して切腹して果てた。

 その弟である塩飽四郎も続いて腹を切ろうとしたのを聖円は押しとどめ、私の最期を見てから、静に腹を切れといったので、四郎は刀を納めて、父親の前にうずくまった。入道は曲彔(きょくろく)という僧侶の使う椅子をもってこさせて、その上に結跏趺坐して自分が着ている大口袴(裾口が広い袴)に辞世の頌(じゅ)を書きつけた:
  五蘊有に非ず
  四大本より空なり
  大火聚裏(じゅり)
  一道の清風
(第2分冊、142ページ、五蘊=心身を形成する色・受・想・行・識は実体ではなく、四大=万物を形成する地・水・火・風は本来空である。大火が燃えさかる中にも、一筋の清風が吹いている。この頌の第一・第二句については異同があるようである。)
 そして禅宗の礼法に従って左手を胸に当て、それを右手で覆って、四郎に首を討てというと、四郎は臆することなく、父の首をすっぱりと切り落とす。そしてその刀を取り直して、自分も腹を切る。こうして親子3人が最期を遂げた。

 安東左衛門入道聖秀(しょうしゅう)は上野国甘楽郡(群馬県西南部)の地頭で、北条得宗家の有力な被官の1人であったが、その姪が新田義貞の夫人であった。そこで義貞の夫人は、義貞の書状とともに、自分の手紙を添えて、ひそかに聖秀のところに使いを送った。

 聖秀ははじめ、3,000余騎を率いて極楽寺に近い稲瀬川に向かったのであるが、新田一族の世良田太郎が稲村ケ崎から自分の軍の後方に回って攻め立ててきたために多くの兵を失い、わずか100余騎になって自分も数々の負傷をしながら、屋敷に帰りついてみるとすでに館は焼き払われ、妻子はどこに逃げていったのか見当もつかない。北条高時の邸も焼けて、高時は東勝寺に落ち延びたと聞いて、高時の邸が無抵抗のまま敵軍に焼き払われたのは悔しいことである。この上は、高時の屋敷跡で自害して、自分たちの忠義を示し、高時の恥を雪(すす)ごうと邸のあったところまでやってくる。今朝までは壮麗な建物が立っていたところが、焼け跡になっているのを見て、また自分の友人知己が戦死したことを思って、涙にくれる。

 と、そこに義貞の北の方からの使いの者がやってくる。使いの者がたずさえた北の方の手紙には、鎌倉の様子を伝聞すると、もはやこれまでと思われる。私のほうから叔父上のことは何とかとりなしましょうと書かれている。
 これを読んで聖秀は大いに怒る。武士の妻たるものはその心構えをしっかりと持たなければならない。鎌倉が陥落するような事態になり、北の方が聖秀の命を案じるのは仕方がないにしても、手紙を言づけようとするのを夫の義貞が止めなければならない。義貞は自分が幕府を裏切って、生き延びようとするような武士だと思ったのであろうか。あるいは新田殿は敵の力を分断しようとこのような手紙をよこしたのかもしれないが、だとすれば北の方の方で私の伯父はそのような武士ではありませんと止めるべきであった。このように恨み言をいったり、涙を流したりしていたが、手紙を刀に取り替えて、死者の見ている前で腹を切って果てたのであった。

 『太平記』の作者は第10巻では、このようにかなりの紙面を割いて、鎌倉方の武士たちの最期の様子を語っている。実際には、すでに登場した島津四郎のようにあっさり裏切るものが少なくなかったのであろうが、幕府に忠義を尽くして死んでゆく武士たちの姿を書き留めることによって、作者自身の掲げる大義名分の一端を示そうとしたようにも思われる。安東聖秀が鎌倉にいる縁者を助けようとする義貞夫妻の態度を批判するのは、その後の物語の展開の伏線の1つとも受け取ることができる。この後、作者は、奮戦したり、幕府への忠誠心から自害したりした武士たちとは違った、生き方をする武士たちを描き、さらに高時たちの最期を描きだすのだが、それはまた次回以降。
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