五味文彦『中世社会のはじまり シリーズ日本中世史①』

1月24日(日)晴れ

 五味文彦『中世社会のはじまり シリーズ日本中世史①』を読み終える。

 著者である五味さんはこの書物を次のように書きはじめている:
「中世社会は古代社会の達成の上に築かれた。これまでとは違う新たな動きがおきて、それへの対応から大きく展開をみることになる。その動きの一つが9世紀に日本列島を襲った自然の大変動であるが、ほかにも大陸では大きな政治的変動がおきており、さらに日本列島内部からの社会変動もあるなど、これらが時に大きく襲いつつも、ゆっくりと影響をあたえたことから、中世社会の枠組みが形成された」(ⅰページ)。

 「自然の大変動」として列挙されているのは貞観11年(869年)に東北地方を襲った大地震と大津波であり、貞観6年(864年)における富士山の大噴火である。さらに飢饉や疫病が律令政治の根幹を揺るがし、摂関政治の誕生を促したと述べられている。もちろん、摂関政治の開始が中世のはじまりであるなどと論じているわけではない。社会と政治の動揺の中から武士が台頭し、それが新しい勢力として次第に力を増していくことになったということである。東北地方で起きた前九年の役の当時者であった安倍氏は従来と違う支配の形態を実現した地方政権を樹立しており、それがのちの鎌倉幕府の原型となったという。このような東北地方における新しい動きに呼応するかのように、中央でも11世紀の後半から後三条天皇によって新しい政治の動きがはじめられた。そしてその後に続く白河・鳥羽・後白河の3人の上皇によって院政という新しい政治の形態が確立されてゆく。

 この『シリーズ日本中世史』は全4巻から構成され、本書『中世社会のはじまり』を第1巻として、
②近藤成一『鎌倉幕府と朝廷』
③榎原雅治『室町幕府と地方の社会』
④村井章介『分裂から天下統一へ』
と続くことが予定されている。「中世」として院政時代から安土桃山時代までのかなり長い期間が想定されているようである。

 しかし、ここで疑問をもつ読者も少なくないはずである。そもそも院政時代から戦国時代までの期間を一つの歴史的な時代として一括できるのか、さらにそれを「中世」と呼んでよいのかということである。それまでの時代と違う新しい時代の初まりを、鎌倉幕府の創立に設定するか、平清盛の政権掌握に求めるか、あるいは院政の開始によると考えるかは、議論の分かれてきたところであり(この書物では院政の開始をはじまりと考えている)、さらに「中世」という呼び方によって、それを西欧中世と基本的に同じ性格をもつ時代と考えるのか、あるいは便宜的にそのように呼ぶだけのことかという問題がある。また日本の「中世」が西欧の中世と同一の性格をもつと考える場合に、さまざまな民族がその歴史の中で同じような段階を経て社会を発展させてゆくのか、それとも社会の発展の形態は多様であるのかという問題があり、多様な中で、日本と西欧は同じような発展を遂げてきたのではないかという考え方もできる。著者は、この書物が日本の「中世」の歴史の特徴を概観するものであるといいながら、これらの問いの多くに応えていない(答えている部分については、これからの論評の中で明らかになるはずである)のは、この書物の価値を大いに減じるものである。中世史研究に大きな功績を残した網野善彦が西洋史学者との対話を怠らなかった誠意を著者は学ぶべきではなかったのかと思う。(フランスの有名な歴史学者であるジャック・ルゴフは「中世」は西欧だけに見られることを強調したし、実際、西暦年代では同じ時代に書かれた『神曲』と『徒然草』を同一次元で対比することは不可能ではないかと思われる。この書物では文化史的な性格が強調されているが、ヨーロッパの中世には「大学」が出現したのに対し、日本の中世における教育の繁栄は「大学」を生み出すことができなかったことを我々は無視すべきではないのである。もっとも1549年に渡来したキリスト教の宣教師ザヴィエルが書いているように日本にも「大学」に似たようなものは存在したわけで、そのあたりをどう評価するかも問題ではある。)

 話が横道にそれ過ぎた。要するに、「中世とは何か」ということをもう少し広い視野で論じてほしい、著者は十分に広い視野で論じたつもりだろうが、それでも不十分だということである。以下、この書物の構成について紹介する。
 第1章「中世社会が開かれる」では中世の前提としての古代、とくに9世紀における日本の社会の変動とそれに対応して中央の政界で起きた変化(律令政治から摂関政治へ)と国風文化の展開、地方における開発と武士の台頭、商人を始めとする民衆の動き、この時代の文学作品に見られる独特の(翻訳ではない)自然観・人間観、神仏習合の宗教思想と浄土教の普及などについて論じている。
 第2章「地域権力と家の形成」では、著者が「中世」のはじまりと考えている院政時代について、院政がどのようにして始まったのか、この時代に自分の子孫にその地位を継承させようとする「家」の形成が皇族・貴族から始まって、寺院や神社、武士たちにも及んだこと、中央・地方の武士たちの「家」が組織されていったことが述べられている。
 第3章「地域社会の成長」では、中央において院政と結びついた形で武士の「家」である平家が台頭したこと、中央でも地方でも「家」の継承をめぐる争いが絶えなかったこと、その一方で「家」を継続させるために職能・文化の継承が重要な課題として認識されるようになっていたこと、さらに東国における動き、平泉の繁栄の様子などが述べられている。
 第4章「武者の世と後白河院政」では保元・平治の乱を通じて、平清盛を中心とする平家の力が強化され、武家権門が成立するが、その一方で、ますます「家」の役割が重要になってきたことが説かれている。
 第5章「身体の文化」では治承・寿永の乱から鎌倉幕府の成立、内乱の時代における仏教の新しい動き、物語世界の広がり(軍記物語や説話集の執筆が盛んになる)、それらの文化的な動きが新体制をもつものであったことなどが述べられている。
 第6章「職能の文化」では、モンゴル襲来から室町時代にかけての政治・文化の動きを職人たちが切り開いた新しい文化と芸能の出現、その中での「型』の重視という考え方について注目しながら概観している。

 だいぶ荒っぽいまとめ方をしたが、中央における政治の動きを追うというだけでなく、地域的にも職能的にも多様化した社会のあり方を、経済や文化における変化も視野に入れながら総合的に見ていこうという試みであることが、以上でわかると思う。そうはいっても、物足りない点があることは否定できない。そのことを含めて、著者が特に力を入れて論じているところや、読んでいて気になったところについて、機会を見てさらに補足を試みるつもりである。
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