後藤健『メソポタミアとインダスのあいだ』

1月18日(月)朝、雪が積もっていた。その後、雪は雨に変わり、降ったりやんだりしていた。路線バスは後輪にチェーンをまいて走り、坂道を登り切れないで立ち往生している乗用車を見かけたりした。寒い。

 1月17日、後藤健『メソポタミアとインダスのあいだ』(筑摩選書)を読み終える。なかなか読み応えのある書物であった。

 この書物は前3千~前2千年紀のアラビア湾(ペルシア湾)、とくにアラビア半島東部沿岸地方における文明の興亡を歴史の中に正しく位置づけようと試みるものである。書物の構成は次のようなものである:
     はじめに 目的と方法
第1章 メソポタミア文明の最初の隣人たち
第2章 イラン高原の「ラピスラズリの道」――前3千年紀の交易ネットワーク
第3章 ウンム・ン=ナール文明――湾岸文明の成立
第4章 バールバール文明――湾岸文明の移転
第5章 湾岸文明の衰退
     おわりに

 今回は、「はじめに 目的と方法」を取り上げて、この書物の目的と方法を把握するつもりである。ここでは、著者の研究がメソポタミアとインダスのあいだのアラビア湾岸で展開された文明の性格とその興亡の理由を突き止めることを目的とし、そのための主な方法として考古学的な資料の解釈を主として用い、補足的に文献史学の成果を活用していくことが述べられている。
 
 この地域の考古学的な研究は、近年急速に進展してきていると著者は言う。アラビア湾岸はもともと可耕地に乏しいため、農耕を伴う新石器文化は未発達で、狩猟漁撈民と遊牧民の活動痕跡だけが知られている。前3千年紀の半ばにアラビア半島の一部であるオマーン半島では、湾岸で最初の文明、ウンム・ン=ナール文明が興った。「不思議なことに、農耕文化が発達した地域でもないのに突然都市文明が誕生したように見え、それが持続的発展をしたようには見えない」(10ページ)。これまで常識だと思ってきた古代文明の成り立ちとは異なる、文明の起源があったように考えられるのである。

 現在、人類史上最古とされる文明はメソポタミア文明で、前4千年紀の中ごろに最初の都市社会が生まれ、しばらく後に文字による記録が開始された。
 次いでエジプトのナイル河畔では前3250年頃に第一王朝が成立した。さらに前2600年ごろにインダス文明が成立したと考えられるが、この文明は前1800年頃に終焉を迎える。
 中国文明はこれらの三大文明に比べて相当遅い年代に成立した。殷時代前期に相当する二里岡期の始まりは前1500年頃のことであり、最古の王朝「夏」に相当するとされる二里頭期がそれに先行するとしても、その起源は前2千年より早いとは考えられないという。〔著者は「中国文明」の名のもとに黄河文明について論じているが、最近では高校の世界史の教科書でも長江文明についても論じており、長江文明の存在が著者の論旨に影響を及ぼすものではないにせよ、一言二言の言及はあってもよかったのではないかと思われる。〕

 これらを「四大文明」と呼びならわすと、それぞれが独立した、自己完結的なものであったかのように錯覚されてしまうが、20世紀の特に後半以降に展開された研究の成果として、これらの文明以外の文明の存在、またこれらの文明の相互の交流や影響関係についての情報が蓄積された。それらを踏まえて、著者は古代文明の発生をめぐって従来の研究による説明に疑問を感じたという。
 従来の研究では古代文明の起源を、灌漑農耕による生産性の飛躍的な向上、それによって生まれた余剰の蓄積、それを可能おとした労働力の集中と社会的・政治的ヒエラルキーの確立などの面から、つまりそれぞれの文明の枠の中の自己完結的な動きとして説明していた。しかし、メソポタミアを例として考えてみても、文明成立の当初から、メソポタミアの外の、しかもかなり遠くから運ばれた物資が遺物として見いだされる。つまり、メソポタミアだけでなく、より広い地域にわたって文明の起源を考えなければならないのではなかろうかと著者は論じる。

 メソポタミアでは農産物は豊かであるが、それ以外の物資は乏しかった。それに対して周辺の地域にはそれぞれの特産物があったが、農産物は乏しかった。メソポタミアにとって必要であるが、自前では調達できなかったものの一例が金属である。オマーン半島は銅の有力な産地であり、古くからメソポタミアと交流があったと考えられる。銅のような重いものは陸路で運ぶことは困難で海路、船を使って運ばれた。さらに木材、貴金属、宝石なども外部からメソポタミアに持ち込まれた。このように、メソポタミア文明は当初から、交易の相手方を必要とし、それらの存在によって文明を発展させたのではないかというのである。

 メソポタミアにとって物資の供給地の1つであり、インダス文明との交易の中継基地でもあった湾岸の文明は多くの遺跡・遺物を残しているが、楔形文字資料はそれほど残していないので、遺跡の考古学的な分析と、メソポタミアから出土した文書の中のこれらの地域への言及を手掛かりとして研究を進めていくと著者は述べている。

 古代文明の成立の過程と、その基本的な性格をめぐって画期的な議論を展開しようとする野心的な試みであり、どのような事例をもとに議論を組み立てていくのか、今後の展開が楽しみである。
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