ローマに消えた男

1月9日(土)晴れ

 横浜シネマ・ジャックでイタリア映画『ローマに消えた男』(Viva la liberta)を見る。原題は「自由万歳」ということで、日本語題名とかなりの落差がある。それが日本とイタリアの社会と政治の落差かもしれないと思った。

 総選挙間近なイタリアで、最大野党である左派政党の党首エンリコ・オリヴェーリ(トニ・セルヴィッロ)は不人気なうえに、反対派を締め出す方針を貫いていて、支持率が低迷している。党の集会でも、締め出したはずの反対派のヤジが飛ぶのを気にしている。ある日、彼は書置きを残して、アパートから姿を消す。党の幹部たちは大騒ぎで、その行方を探るが、そのうち、彼の双子の兄弟で精神病院に入院しているジョヴァンニ・エルナーニ(ト二・セルヴィッロ一人二役)が彼とそっくりであることを知り、ジョヴァンニを当座しのぎの替え玉に起用する。ところが、口の重いエンリコとは対照的に、名文句が口から次々と飛び出すジョヴァンニの発言がマスコミと大衆に受けて、政党の支持率は急上昇していく。その一方で、エンリコはパリに住む昔の恋人ダニエル(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)のもとに姿を隠す。彼女は東洋系の映画監督であるムングと結婚して子どもを儲けており、ムングの映画撮影のために南仏に移ったエンリコは、映画の製作を手伝うようになる。もともと彼は映画が好きで、ダニエルとも映画を通じて知り合っていたのである。双子の兄弟それぞれの動きは、エンリコの側近の政治家たち、エンリコの妻、ダニエルの家族など、彼らに関係する人々をまきこんでいく・・・。

 エンリコもジョヴァンニもそれぞれ病気治療中で、薬を毎日服用している。日本だと薬を買うのに医師の処方箋が必要な病気のはずだが、イタリアやフランスではそうではないのだろうか。以前公開されたイタリア映画『人生ここにあり』(Si può fare!)に描かれていたように、イタリアの精神科の治療は日本とはかなり違うようである。ジョヴァンニが病院の仲間にも人気があるという描き方には意味がありそうである。『ローマに消えた男』という日本語の題名だが、映画の舞台はローマだけでなく、パリ、そして南仏にも設定されているので、『ローマから消えた男』のほうが内容に近いのではないかと思う。

 表面的にはイタリアの政局の混乱を風刺した喜劇と受け取れるかもしれないが、より一般的・普遍的な意味をもつドラマであるかもしれない。自由民主主義は自由と平等の2つの原理の調和を図ろうとする考え方であるが、その中で左派政党は一般に平等を強調して、自由を軽視する傾向がある。その党首が自由を求めるというのがまず皮肉である。彼の選択した自由は、映画製作であり、その双子の兄弟は政界でもてはやされることを選択する。それぞれの選択が他ならぬ映画で描かれているというのも皮肉と考えてよさそうである。

 ジョヴァンニはやたら、文学作品の中の名文句を引用する癖があり、その芝居がかった調子が大衆の人気を博す。古典についての知識もなく、現実も見えず、修辞の技能も身に着けていない日本の政治家の文学的な素養の貧しさに慣れてしまっていると、この映画は案外新鮮に感じられるのではないか。政治的な演説をする場合に、過去の文学作品と統計的な数字の引用が効果的であるといわれるが、彼の場合は片方が欠けているのである(彼の演説に拍手を送っている大衆がそのことに気付いているかどうか)。現実的な裏付けのない名文句の羅列と名調子は、どれだけマスコミの支持を受けても、どこかで化けの皮が剥がれるものである。
 双子がもとに戻ったら、悲劇が起きるかもしれず、このまま突き進めば、悪夢が展開するかもしれない。悲劇か悪夢かという選択には救いがない(悪夢は夢だから、まだ救いがあると考える人もいるだろう…!?) それがイタリアだけのことと考えるか、もっと普遍性をもつものと考えるか、それはこの映画の評価と結びつくだろうし、もし普遍性をもつとすれば、それがどのように日本の社会あるいは政治の評価を結びついてくるのかも考えてよいことではないかと思うのである。
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