日記抄(1月1日~7日)

1月7日(木)曇り

 1月1日から本日までの間に経験したこと、考えたこと、ブログに書き洩らしたことなど:
1月1日
 ここ数年、除夜の鐘をきかず、横浜港に停泊している船舶の越年を知らせる汽笛も聞かずに年を越している。私の住処のある丘の反対側に寺があって、昔はそこの除夜の鐘が聞こえていたのだが、聞こえなくなったのはいつのことであろうか。

 正月の過ごし方は少しずつ変わっている。変化を見逃さないようにしたいものである。

1月2日
 ニッパツ三ツ沢球技場で全国高校サッカー選手権の2回戦2試合、鳴門高校(徳島県)対矢板中央高校(栃木県)、富山第一高校対日章学園高校(宮崎県)の試合を観戦する。第1試合の開始早々に矢板中央高校のMF坪川選手が鳴門のGKが前に出ていたのを見逃さずに、センターサークル付近からロング・シュートを決めて先制点を奪う。さらに後半2点を挙げて、矢板中央が快勝した。第2試合は富山第一高校が前半に挙げた1点を守り切って、3回戦進出を決めた。
 今年の大会は、場内で酒類を販売していないのが目立った変化である。

 この日のブログに「年号」のことを書いたが、日本で最も長く続いた年号は「昭和」で1926年から1989年まで、次が「明治」で1868年から1912年までであるが、3番目は何かというと「応永」で明徳5年7月5日(ユリウス暦1394年8月2日)疱瘡の流行により改元~応永35年4月27日(ユリウス暦1428年6月10日)正長に改元するまで続いている。後小松天皇、称光天皇の在位期間にまたがり、室町幕府の将軍は足利義満、義持、義量と代わっている。この時代に生まれた有名人としては、一休宗純(1394-1481)、一条兼良(1402-1481)、蓮如(1415-1499)があげられる。一休さんがまだ小坊主で頓智を働かせていた時代と考えると、この時代への親しみがわくのではなかろうか。

1月3日
 ニッパツ三ツ沢球技場で全国高校サッカー選手権の3回戦2試合を観戦する。地元の桐光学園高校の試合があるので、早めに出かける。予想通り、かなりの混雑になった。第1試合は矢板中央高校と富山第一高校の対戦で、矢板が前半に1点を先制したが、富山が後半に同点に追いつき、アディショナル・タイムに1点を挙げて逆転勝ちした。第2試合は、さらに劇的な展開となった。桐光学園高校(神奈川県)と青森山田高校の対戦で、桐光が前半にFW小川選手の2本のゴールで先行、後半に入っても有利に試合を進めたが、小川選手がPKを外して追加点を奪えなかったのが、尾を引くことになる。青森山田は最終盤になってセット・プレーから2点を挙げて追いつき、まさかのPK戦となった。両チームともに4人ずつがPKを決め、桐光の5人目が小川選手だったが、ゴールをとらえることができず、逆に青森山田の5人目の選手はPKを決めて、大逆転となった。桐光は終盤で勝ちを意識しすぎたのが悪い結果を生み、青森山田は最後まで勝負をあきらめない執念が実を結んだ形である。

1月4日
 紀伊国屋そごう横浜店で東海林さだお『さらば東京タワー』(文春文庫)とレーヴィット『ヘーゲルからニーチェへ(上)』(岩波文庫)を購入する。木田元さんは、その著『マッハとニーチェ』(講談社学術文庫)の中で、19世紀の(哲学を中心とする)思想史を整理・概観した書物は今のところ無きに等しい状態であるといいながら、レーヴィットの『ヘーゲルからニーチェへ』は「一つのみごとな19世紀思想史である」(12ページ)と評し、斎藤忍随、生松敬三と3人で名著なのに翻訳がこなれていないのはもったいない、「けっして読みやすいとは言えない現行の翻訳の悪口」(同上)をいいあったことを思い出している。悪口をいわれたのは柴田治三郎訳で、今回は三島憲一の翻訳で刊行されている。一応哲学史なのだが、哲学以外の領域にも配慮しているのはレーヴィットの本も、木田さんの本も同じである。

 横浜駅西口JOINUSの蕎麦屋である更科一休に初めて出かける。以前はJOINUSとザ・ダイヤモンドに1軒ずつ店を出していて、ダイヤモンドの方の店にはよく出かけていたのだが、地下街の再編成で店が1つにまとめられ、わたしから見ると不便な場所に店が移ったので足が遠のいていたのである。顔見知りの店員がいたので、昔話のような、そうでないような話をした。

1月5日
 ニッパツ三ツ沢球技場で全国高校サッカー選手権の準々決勝2試合を観戦する。地元校が敗退したとはいうものの、かなりの観客が詰め掛けていた(競技場の収容人数が少ないということもあるかもしれない)。第1試合の青森山田高校対富山第一高校、第2試合の国学院久我山高校(東京A代表)対前橋育英高校(群馬県)ともに前半は0-0、後半に、第1試合は青森、第2試合は国学院が得点して1-0で勝つという競り合いになった。どちらの試合も、どちらのチームを応援するというわけではない(そういえば、昔おしえた学生の中に富山第一の卒業生が何人かいたが、応援したくなるほどのかかわり方ではなかった)のだが、それぞれに見応えがある好試合であった。

 東海林さだお『さらば東京タワー』(文春文庫)を読み終える。年をとると老と病とが主に頭を襲ってくる、内側からはボケ、外側からはハゲ、気になるのはハゲのほうだと東海林さんは言う。それでも、「池上彰さんという人がいますね。/『いい質問ですね』の人。/あそこまではいってませんからね、ぼくは」(11ページ)と、自分の頭の状態について他人と比較しながら検討を怠らない。
 昨年10月15日の「ラジオ英会話」で”Good question."(いい質問ですね)という表現は、相手の質問に答えられない、あるいはこたえない方がよいと判断したときにも使うと解説されていた。アメリカ英語と英国の英語の違いはあると思うが、英国人が何度か、この表現を使う場面に出会った。必ずしも、その質問を喜んでいるというニュアンスではなかったように思う。英語がよくできる池上さんのことだから、この表現のニュアンスはよくご承知のはずである。問題は、そういわれた方の返し方であるかもしれない。

1月6日
 NHKラジオ「実践ビジネス英語」は”Generation Z Rising"(Z世代の出現)という話題を取り上げている。昨年の4月末から5月にかけてのこの番組では”Sizing Up the Millennials"(2000年世代の評価)という話題を取り上げたが、そのMillennnialsに続く世代がGeneration Zで、1990年代の後半から後に生まれた、現在10代の若者たちを指していう言葉だそうである。第二次世界大戦後のベビー・ブームで生まれたBaby Boomersのあとに、1960年代・70年代生まれのGen(eration) Xer (X世代)が続き、そのつぎがMillennials,そしてGeneration Zということになる。Generation Zのあとの世代は何と呼ばれることになるのか、それがわかるときまでこちらが生きているかどうかがあやしい。

1月7日
 NHKラジオ「まいにちイタリア語」応用編は〝Un passo avanti!"(~今さら聞けない文法の不思議~)という新しい番組が始まった。
 定冠詞は、聞き手が「それと分かっているだろう」、「区別できるだろう」と、話し手が判断したという前提で用いるという。だから、「私は、友人に会った。」というのをイタリア語に訳すときに
Ieri ho incontrato un mio amico.
と、不定冠詞を使わなければならない。友達は大勢いて、その中の特定の誰であるかは聞き手にはわからない。(英語だと、冠詞と所有形容詞を並べて使うことはないが、my friendではなくて、a friend of mineとしなければならないと考えると、分かりやすい。)
 どうも冠詞の使い方は難しいが、ラテン語には冠詞はなかったというところまで話が及んだ。冠詞の使い方がどうも苦手だという人は、ラテン語を勉強するといいということになるのだろうか。
 冠詞がないといえば、ロシア語、あるいはその他のスラヴ系言語の大部分も冠詞がない。あるロシア人が、ロンドンの町で時刻を訊こうと思って、”Excuse me, what is time?" と話しかけたところ、それは大変に難しい問題ですと答えられたという笑い話を高校時代に勉強したことがある。この場合、”What is the time?"(あるいは、われわれが普通、英語の時間で習う言い方を使えば、What time is it ?")といわないといけない、”What is time?"では「時間とはどういうものですか?」という意味にとられてしまうのである。

 本日をもって、渋谷シネマライズが閉館とのニュースを知る。最近、足を運んでいなかったが、そのことを含めて残念に思う。また、映画館がひとつ消えた。(その一方で、新しく開館する映画館もないではないのだが…)

七種や茶漬に直す家ならひ  朱拙
 柴田宵曲『古句を観る』(岩波文庫)を読み返していて、この句に出会い、定食屋で女主人と客とが七草粥と茶粥をめぐっていろいろと話していたのを思い出した。こちらは脇で聞いていただけだから、どういう脈絡だったのか、よくわからないのである。宵曲が書いているように、この句にもわかりにくいところがある。
七種や八百屋が帳のつけはじめ  汶村
 「新年も松の内位までは、めでたく平穏な日が続く上に、いろいろ暮にととのえた物があって、庖厨に事を欠かぬ。七日に至ってはじめて八百屋に用が出来るのは、七種粥の関係もあるが、この日あたりを境界として、漸く平生の生活に還ろうとするためであろう。八百屋の帳面にも初めて記載事項が出て来る。・・・/「八百屋が帳のつけはじめ」は瑣事中の瑣事である。こういう事柄を捉えながら、さのみ俗に堕せず、のんびりした趣を失わぬのは、元禄の句の及びがたい所以である。」(柴田、36ページ)
 この句は昨年も取り上げた。こんなふうにおっとりとではあるが、確かな足取りで、普段の生活に戻っていきたいものである。(汶村にはもちろんのこと、宵曲にもあこがれるところがある。)
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