ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(20-1)

12月28日(月)晴れ

 ウェルギリウスを案内者として煉獄を旅するダンテは、第19歌で貪欲の贖罪者たちがいる第5環道に達した。そこで彼は教皇ハドリアヌスⅤ世の魂が、現世における政治権力の追求の罪を贖っているのに出会う。ウェルギリウスとダンテはさらに道を急ぐ。

私は歩きだした。すると我が導き手は、
さながら城壁の上を壁に沿って行く者のように、
内壁すれすれの空いている場所を歩まれた。

というのも、全世界を占領している悪を一滴、また一滴と
目を通じてぽたぽたと搾り出している人々が、
外縁の端のほうにあまりに集まっているからだ。

呪われるがよい、太古からの雌狼よ。
その底なしに深い飢えゆえに、
おまえは他のどの獣より獲物を屠(ほふ)る。
(290-291ページ) 「雌狼」は貪欲のアレゴリーである。『地獄篇』第1歌で、「暗い森」(地獄篇、26ページ)に迷い込んだダンテは、雌豹(地獄篇、28ページ、「羨望」のアレゴリーとも「淫乱」のアレゴリーとも解釈されている)、「獅子」(地獄篇、30ページ、「高慢」のアレゴリーである)によって脅かされ、さらに「雌狼」(同上)に依って行く手を阻まれようとした。

私達は歩幅も狭く、遅々とした歩みで進んでいたが、
私はといえば、影達に注意を払い、
哀れを誘う彼らの嗚咽と呟きを聞いていた。
(291ページ)

 すると聖母マリア、ローマの執政官であったカイウス・ファブリキウス、聖ニコラウスの清貧の徳を称える声が聞こえる。それを好ましく思ったダンテはその霊に話しかける。すると、話しかけられた霊はダンテが神の恩寵を特に受けていることのために、彼の問いに答えるのだと断って、
「・・・

余は全キリスト教世界を翳(かげ)らす
悪しき木の、根であった。
その木から善き果実がもがれることは滅多にない。

・・・

向こうでの余の名はユーグ・カペーであった。
余から生まれしは幾多のフィリップとルイ。
この者らにより昨今のフランスは統(す)べられている。

…」(294ページ)と名乗る。すなわち、彼は歴代のフランス国王の祖であるユーグ・カペーであり、そのフランスが不法に王位を奪った彼の子孫によって統治され、その対外拡張政策によってヨーロッパの平和を乱していることを述べる。「その血族の暴力と詐術を駆使した/略奪が始まったのだ」(296ページ)とカペーの霊に言わせるダンテのフランスに対する厳しい態度を示している。カペーの霊はさらに、間もなくフランスが(イタリアに)侵略戦争を起こし、「その遠征では、領土ではなく、罪と屈辱を/得るであろう」(297ページ)と予言する。(『神曲』に描かれたダンテの旅は1300年に起きたこととされているが、実際にはもっと後になって書かれている。したがって、カペーの言葉は「事後予言」である。『神曲』にはこのような事後予言がしばしばみられる。)

 詳しくは翻訳者である原基晶さんの解説を読んでいただきたいが、フランス国王の動きは、教皇と皇帝を頂点に頂く汎ヨーロッパ的・中世的な秩序を破壊して、近世的な絶対王権が率いる国民国家を確立しようとするものであった。このような歴史的な文脈に即して、中世的な秩序の回復を夢見るダンテの思想を時代遅れと考えるか、それとも彼の平和の願いに時代を超えた普遍性を見出すかが『神曲』の評価における重要な分かれ目になるはずである。 

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