梅棹忠夫『日本語と事務革命』

12月19日(土)晴れ

 梅棹忠夫『日本語と事務革命』(講談社学術文庫)を読み終える。1988年にくもん出版から「くもん選書」の1冊として刊行された『日本語と事務革命』が、その後、中央公論社から刊行された『梅棹忠夫著作集』の1冊『日本語と文明』に同じ題名で収録されたものを底本として、講談社学術文庫に収めたものである。人類学者として国際的に活動を展開し、エスペランティストであり、複数の言語を駆使し、大衆的なレヴェルでの知的生産と情報の収集・蓄積の活動にも関心を寄せ続けた梅棹忠夫(1920-2010)が「日本語と事務革命」をめぐり1960年代から1980年代の終わりまでに書いた様々な論文を集めて、新たに編集しなおしたもので
Ⅰ 事務革命
Ⅱ 文書革命の現実と将来
Ⅲ カナモジ・タイプライターは実用になるか?
  カナかなタイプライター始末記
Ⅳ ワード・プロセッサーは知的生産の新しい道具になりうるか
  ワープロのもたらしたもの――事務革命は終わったか
の各部分から構成されている。このうち「カナモジ・タイプライターは実用になるか?」は1960年代の初めに行われた大淵和夫(1927-1977)との対談をまとめたものである。なお、カナモジ・タイプライターはカタカナだけを打ち出す、カナかなタイプライターはカタカナとひらがなを両方ともに打ちだすことのできるタイプライターである。それから、この書物の前半では「事務革命」の進行が描きだされているのだが、後半になると著者の関心は「知的生産」の方に移ってしまって、企業の現場での文書作成の実態からは離れている。その点で一貫性が欠けているように思われる。

 さよう、この書物でいう「事務革命」の主役はタイプライターである。もともと事務文書は日本では筆で、欧米では鵞ペンで書かれていた。それが19世紀になって、鉱物を材料にした金属ペンに取って代わられた。これを梅棹は第一次事務革命という。そして19世紀の後半になると、タイプライターが発明され、普及することになる。タイプライターの特色は誰にでも読めるような文字が、迅速に打ち出されるということである。
 欧米と書いたが、タイプライターはローマ字を使う言語用のほか、左縦書きのモンゴル文字用、右横書きのアラビア文字用のものも考案されたと梅棹は書いている。梅棹は書いていないが、キリル文字用、ギリシア文字用のものもあるはずである。要するにタイプライターが作られるのには、その表記に使われる文字や記号の数が少ない方がよいのである。人間の手の指は10本、それぞれの指が演じることのできる役割はそれほど多くはない。
 日本では19世紀後半に筆から金属ペンへの転換が起きるが、日本語の表記の特色(常用される文字の数が多い)から、タイプライターへの転換は行われないままであった。確かに和文タイプライターの発明はあったが、これは欧文のタイプライターとは別の原理に基づくものであった。タイプライターの特色の1つは、手書きよりも早く文書が作成できるということであり、和文タイプの場合は手書よりもむしろ時間がかかるのだから、話が違うのである。その一方で、大阪の実業人たちを中心として、カナタイプを企業活動の現場で使おうという動きがあり、戦後になってそれが急激に発展した。

 以前にも書いたことがあるが、学生時代、図書館学の先生が図書館学の実習ではタイプライターを使うという話をされて、授業を受講しようかと思ったことがある。つまり私の心のどこかに、タイプライターへのあこがれがあったようである。また、京都大学の全学自治会である同学会の部屋で何やら時間を過ごしていると、大学のエスペラント研究会の学生が部誌の発行のために謄写印刷機を貸してほしいと何人かでやってきて、それだけでなく、持ってきたタイプライターで原稿を作成しはじめたのは、ちょっとした見物であった。梅棹はエスペランティストであったから、タイプライターにはなじみが深かったのであり、フィールドに出かけても、ローマ字でフィールド・ノートを作成したり、戦後のある時期にはローマ字で書かれた学術誌の刊行に携わったりしたほどである。(ローマ字の学術誌を刊行するくらいならば、英語で書いたほうがいいのではないかと思ったりするが、そこをローマ字表記の日本語で頑張るというのが、梅棹の梅棹たるゆえんである。)

 繰り返しになるが、タイプライターを使うことの利点は、迅速に誰にでもわかる文字が書けるということである。ところが、日本語は表音文字であるひらがな、カタカナと、表意文字である漢字とを混用しているので、日常的に使用する文字数が多く、携帯に便利ですぐに文書を作成できるようなタイプライターを考案し、使用することができない。ということは、タイプライター使用が可能なように、日本語の書き方を変えていく必要があるのではないか、つまり漢字の使用を制限し、分かち書きを励行していくべきであるというのが梅棹の意見である。漢字の使用を制限するということは、できるだけわかりやすく日常的な言葉を使うということにもつながる。確かに、梅棹の文章は漢字が少なく、できるだけ平易で分りやすい文章であることを心掛けて書かれている。

 梅棹が推進しようとしたのは、かなだけを使う(当然、分かち書きが必要となる)タイプライターの使用であり、かなタイプを日常的に利用するだけでなく、ある企業と連携してより使いやすいかなタイプ、さらには電動式のカナかなタイプの開発にも乗り出す。ところが、さまざまな技術的な問題があって、これは商業化に至らなかった。そして、1980年代になると、新たな機器としてワードプロセッサーが使用されはじめる。ワープロの出現によって、和文タイプライターでは迅速に文書が作成できないという問題は解決され、カナで書かれた語彙が比較的簡単に漢字に転換されるようになったが、そのことが逆に、日本語を平易で分りやすい方向に作り替えていくという流れに逆行する動きをもたらしたようにも思われる。

 その後、ワープロがコンピューターに取って代わられ、日本語の文章におけるカタカナ言葉の使用が増えたことで、梅棹が論じている問題はより複雑な様相を呈し始めているように思われる。表意文字と表音文字とを混用する日本語の表記が豊かな思考と芸術的な創造力を育むという意見もある一方で、日本社会がますます国際化していく中で、漢字の使用をできるだけ制限していくことが好ましいとする意見もある。(漢字を使用することが、日本に近いいくつかの国々の人々にとって日本語を学習する際に有利だと思われるので、問題はさらに複雑なのである。) かつては漢字と字喃(チュノム)という民族的な文字を使用していたが、ローマ字使用に切り替わったヴェトナム語、同じく漢字とハングルとを使用していたが、ハングル一本に切り替えた韓国・朝鮮語の事例など、その教訓を学ぶべき経験が少なからずあり、さらには中国の少数民族言語の事例もあるので、この問題は慎重に対処していくべきなのであろう。この書物の巻末に付け加えられた京極夏彦さんと、山根一眞さんの解説が、梅棹の問題提起をそれぞれの立場からしっかりと受け止めてそれぞれの意見を展開されているのが、好感が持てるし、読み応えもある。日本語、とくにその表記について、事務処理だけでなく、教育や知的生産とかかわって考える際に見落とすことのできない論点を含んだ、読み応えのある書物である。
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