西田龍雄『アジア古代文字の解読』(3)

12月18日(金)晴れ

 今回は、この書物の第6章「契丹文字解読の新展開」を取り上げる。今回でこの書物の紹介を完結させるつもりであったが、未解読の契丹文字は、解読できたかぎりでも複雑な構造をもち、その複雑さを説明しているだけでも相当な労力を要することが分かり、完結は次回にまわすことにした。

 契丹文字についてはすでに第1章「未解読文字への挑戦」で未解読文字の1つとして、その性格と未解読の理由が簡単に述べられている。この文字は920年から1191年まで約270年間、中国の東北部にあった遼の国字として使われていたもので、契丹文と漢文とが対照できる資料がわずかながら残っているが、確実な資料があまりにも少ないこと、残された資料が墓碑銘なのでその内容に偏りがあること、契丹語の子孫となる言語が不明であること、それに契丹文字が表意・表音文字の混合体であるという性格をもつことのためにまだ最終的に解読できたとは言えない状態のままである。もっともこの文字が解読されても、契丹民族の文化と社会についてはすでに多くのことが分かっているので、その点では役に立たないが、彼らの言語がどのような組織をもち、系統に属しているかが明らかになるだろうと述べている。(契丹語は女真語と同じくアルタイ語系の言語であることは第5章「女真文字の成立と発展」に触れられているほか、第6章ではアルタイ語系の蒙古語との比較が盛んに試みられている。)

 第6章「契丹文字解読の新展開」では、1971年に吉林の小学校で出土した銅鏡に契丹文字が刻まれていたこと、中国の学者によるこの文字の解読作業について紹介したうえで、実は他の中国の学者たちの研究で契丹文字がかなり厳密な表記法をとっていたことが分かってきたと述べている。
 907年に契丹族は中国北部に契丹王朝(遼)を立てた。そして建国後の920年に契丹の太祖耶律阿保機(やりつあぽき)は自ら考案した契丹文字を公布した。これは漢字を参考にしてつくられた表意文字であったために、契丹語の多音節単語や種々の接辞を表記するのに不便であった。それで数年たって、太祖の弟の迭剌(てつらつ)がウイグルの使者から表記法を学んで、表音文字である契丹小字を考案した。このように表意文字と表音文字を組み合わせて表記するやり方は、女真文字と共通し、おそらくは女真文字のほうが先行する契丹文字をまねたのであろうと考えられる。

 契丹文字の資料はきわめて限られており、契丹語と漢語の二言語資料はさらにわずかであるが、それでも中国、日本、ソヴィエト(当時)の学者たちによって研究が進められ、1970年代の後半になって中国では新しい画期的な研究成果の発表があった。著者はこのような研究成果を踏まえながら、自説を交えて、契丹小字解読作業の当時の段階について述べている。具体的な解読作業の様相については紹介を省くが、契丹文字の解読は「確実な根拠から特定の原字に、一定の音価を与えうる段階にまで到達した」(203ページ)として新たな研究の成果を高く評価している。「それと同時に、この不可解な文字の背後には、予想以上に多くの漢語が、契丹語に混ざって表記されていることがわかったのも、これまた実に驚くべき事実である」(同上)とも述べる。さらにさまざまな手掛かりをもとに、契丹語の音を再構していく過程が記されていて興味深い。さらに著者は契丹小字による契丹語表記の基本原則について推論を展開している。

 これまで、契丹語は蒙古語に比べてずっと古い形式を保存しており、その文書の解読⇒契丹語の形態の判明は、アルタイ祖語の再構成に役立つのではないかという期待があったが、「契丹語の実態が少しわかってくるにつれて、この期待はずっと薄れ、契丹語はむしろ中期蒙古語や蒙古文語よりもかなり簡単化した形をもっていたのではないかと推測したくなる方向に進んでいるように見える」(223-224ページ)という解読作業の進展のもう一つの余波も取り上げられている。
 さらに最後に、契丹大字とその解読作業の状況について触れられている。この文字の字形を見ていくと、漢字とのつながりが顕著であるが、女真文字とのつながりも確認できる。したがって、この方面からも今後は解読作業が進められていくことが期待されている。ただ、この文字への関心に便乗しようとするニセモノの資料にも注意する必要がある。

 契丹文字の解読作業には、未解読の文字を解読することのほかに、契丹語というまだその性格と構造が十分に知られていない言語の復元とそのアルタイ語族の中での位置づけ、さらに表意文字と表音文字を組み合わせる表記の仕方が日本語の表記を考えるうえでも参考になりそうだということなど、予想以上に多くの意義が認められそうである。契丹(遼)というと、『水滸伝』で梁山泊の豪傑たちが皇帝の命令を受けて遼の国を討伐に出かけるくだりを思い出すのであるが、そこでは遼に独自の言語や文字が存在することなどまったく無視されている。異文化の独自性を認めることにより、ものの見方がさらに複雑に広がって、世界がより面白く認識できるということを考えると、『水滸伝』の作者がこの物語をより面白くできる機会を見逃したことは残念に思われる。
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