ダンテ・アリギエリ『神曲 煉獄篇』(19-1)

12月12日(土)晴れ

 ダンテはウェルギリウスに導かれて煉獄の第4環道に達し、生前における怠惰の罪を贖っている魂たちに出会った。時は深夜であり、魂たちが去った後、ダンテは眠りに落ちる。第19歌は、ダンテが明け方に見た夢から歌いだされる。

真昼の熱が、大地や、時には土星に負け、
月からの冷気を
もはや温めぬことができぬ時刻、
(276ページ) つまり明け方、午前4時ごろに、彼は夢を見る。この時代、月と土星は冷性の天体であって、地上に冷気をもたらすと考えられていた。また中世には、夜明け前に見る夢は真実を語ると考えられていた。

私の夢の中に、吃音で
斜視、足が曲がって
手がひしゃげ、土気色をした一人の女が現れた。
(同上) 吃音は喉に関する飽食の罪、斜視は淫乱の罪、手足の歪みは貪欲の罪のアレゴリーであると解説されている。

私は彼女をじっと見つめていた。するとまるで
夜が重く冷やしてかじかんだ体を太陽が生き返らせるように、
私の視線は、彼女の舌を

滑らかにすると、それからわずかな間に
彼女の全身をまっすぐに伸ばし、生気を失っていた彼女の顔を
愛が望むのに合わせて色づけていった。
(276-277ページ) 彼女は、ギリシア神話に登場する海の怪物セイレーンであった。水夫たちをその甘い歌声で誘惑し、殺していたが、オデュッセウスは水夫たちに彼女の歌が聞こえないように細工を施し、自分自身をマストにしばりつけさせて、その歌声を聴きながら、彼女たちの近くを無事に通過していったと、ホメーロスの『オデュッセイア』に歌われている。
 ダンテがその歌声を聞いていると、「機敏にして聖なる一人の貴婦人」(278ページ)が現われて、ウェルギリウスにダンテを夢から覚ますように言う。この貴婦人が誰であるかについては、定説がないそうである。

 セイレーンはダンテの視線の中で、魅力的になっているだけで、実は醜い姿のままであり、それをウェルギリウスが示すと、ダンテは夢から覚める。
すっくと私は立ち上がった。するとすでに聖なる山の各環道は
どこも皆、空高い日の光に満たされていた。
そして私達は新たな太陽を背に進んでいった。
(279ページ)  しかし、ダンテはまだ夢の意味を考えて、うつむきながら先へと進もうとしていた。天使が現われて、2人をさらに上の第5環道へと導く岩山の裂け目を示した。2人はその指示に従って、上を目指す。ダンテがうつむいているわけを尋ねたウェルギリウスは、ダンテが夢の中で見たセイレーンが現世の福に執着した愛ゆえの罪、つまり<貪欲>、<飽食>、<淫乱>の罪を象徴する存在であることを語り、
「・・・
もうこれくらいにしておけ。地面を蹴って進むのだ。
永遠なる王が、大いなる幾重もの輪とともに回す
誘いにその目を向けよ」。
(282ページ)と、神のアレゴリーである宇宙の美に目を向けるように諭す。

まるで鷹が、はじめは足元ばかり見ているが、
呼び声に顔を上げると、自分を遠くに引きつける獲物を
欲して身を乗り出す、

私はそのようになった。そしてそのまま、
登坂者の道となって岩が裂けている中を
再び円周をめぐる場所に至るまで登った。
(同上) こうして2人は煉獄の第5環道に達する。1300年4月12日の朝のことである。これまでの箇所をめぐっては、さまざまな解釈が可能であるが、現世、地上の事柄に執着するのではなく、来世と宇宙に目を向けて生きるべきだと主張されていると考えておこう。ダンテはプトレマイオスの天動説の体系に従って宇宙を考え、地上、地獄、煉獄を地球上に、天国を地球外の天体にあるとして『神曲』の世界を構想しているが、彼の考えていた宇宙は現在のわれわれが知る宇宙に比べると、きわめて小さいものであった。ダンテが現代の天文学の知に触れたら、どんな感想をもつだろうか、ちょっと想像してみたい気がする。
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