山折哲雄『「歌」の精神史』

12月10日(木)曇り後雨

 野坂昭如さんが12月9日に亡くなられていたそうである。野坂さんはもともと三木鶏郎の冗談工房にいて、一方で風刺的なコメディ、他方でCMソングの製作に携わり、例えば『明るいナショナル』というCMソングは野坂さんの作詞になるものである。その後、作家として頭角を現され、その作品を読んだり、あるいは映画化を通して接したりしてきた。ご自身の戦中・終戦直後の体験をもとに、時局に対して様々な発言を重ねられ、大学闘争時には「心情三派」を自称されたり、「転向宣言」を公にされたりしていたのが記憶に残っている。闘争の終焉後に、三島由紀夫との対談が掲載された雑誌を買って、本棚においていたのを、少し後になってから自分自身でなんでこの雑誌をもっているのわからないといったら、後輩に三島由紀夫と野坂昭如の対談が載っているからでしょと指摘されたのが忘れられない。結構右往左往される人であったが、そのことをめぐっての責任の所在をはっきりさせる方でもあったと思うのである。
 隙間風 野坂昭如 ノー・リターン
 初時雨 バージンブルース 歌う人
 あの世でも 体験忘れぬ 黒メガネ

 12月8日、山折哲雄『「歌」の精神史』(中公文庫)を読み終える。論争的な書物の体裁をとっているが、誰に対して、どのような論争を仕掛けようとしているのかが今一つはっきりしない。
 この書物は「現代詩」によって日本の民族的な伝統をつないできた「短歌的抒情」が失われている現状を憂い、わずかに「演歌」の中にそのような抒情が保たれているという。そのことを、現代詩の詩句と歌謡曲の歌詞との分析を中心に詳しく展開していくのかと思いきや、日本の伝統的な詩歌と無常観についての考察に移り、さらには宗教と文芸の結びつきについての議論が続く。個々の議論はそれぞれに読み応えがあるのだが、一応、「現代詩」を書いているだけでなく、山折さんが批判的に取り上げた中野重治や、小野十三郎を尊敬し、その後に続くつもりで来た人間としては、喧嘩を吹っかけておいて、途中から気が変わって現場から離脱してしまったという感じが消えないのである。

 山折さんは中野重治や、小野十三郎や、桑原武夫といった昭和の、それも前半に展開された短歌的抒情の否定論を取り上げているのだが、詩論だけでなく、実際の作品に目を向ける必要がある。それに現代詩と、短歌と、俳句を十把一絡げにして短歌的抒情を継承する文芸といってよいのだろうか。また現代詩の歴史でいえば、戦後の『荒地』を中心とする動きや、さらにその後の動向にも目を向けておく必要があるのではないか。新聞の歌壇や俳壇の傾向だけを見て、これが現代における詩歌の傾向だと断言してしまうのは、あまりにも性急な議論である。

 そういえば20歳を過ぎて間もないころのことである。当時所属していたサークルの会報に、中野重治の「歌」という詩が短歌的な抒情を否定していることを批判したエッセーを書いた人がいて、それについて、中野が否定している抒情の質をもっとしっかりと見極める必要があるというような反論を書いたことがある。今、考えてみると、短歌的な抒情を盛り込んだ詩を書いても、それを否定する詩を書いても、それは作者の自由、あるいは好みの問題で、どちらが正しいという議論ではない。ただ、山折さんが述べているのとは別の意味で、短歌的抒情否定論には欠点があることも認識しておく必要があるだろう。
 実際問題として、中野の詩や小説は、彼の表向きの言説にもかかわらず、彼がそこから離れたはずの短歌的、あるいは民族的な伝統を背景にもつ抒情が基調になっていて、そのことをもっと深く追求してみる必要があるのではないかと思う。もう一つ、小野の議論についていえば、小野が短歌的抒情がモンスーン的風土を基盤にしていると論じているのは、和辻哲郎の『風土』における議論を踏まえているように思われるのだが、しばしば指摘されているように、和辻の風土館は世界の多様性を十分に認識しているとは言えないもので、同じように詩歌の世界ももっと多様性をもったものであることをこそ認識すべきなのではないかと思うのである。

 詩歌がどのように社会の動きとかかわるかをめぐっては、例えばギリシアの詩の歴史を振り返ってみると、最初は共同体の共通の記憶としての叙事詩があり、その後に個性の発現としての抒情詩が現われたということが言えるかもしれないが、これがすべての民族に共通してあらわれる現象だとは言えない。社会の歴史的な転換期には、偉大な叙事詩が生まれるというヘーゲルの議論は、特定の文明世界における現象だけを根拠にした議論で、どこまで普遍性をもつかは分からないといってよい。ましてや叙事詩が最高の文学の携帯であるというような議論は、まことに独断的なものと言わざるを得ないのである。

 要するに、山折さんの個別的な考察、とくに親鸞上人の和讃についての議論などは大いに学ぶべきところがあると思うが、全体としての論旨には賛同しがたい。とはいうものの、山折さんの問題提起は、受けて立つだけの価値のあるものがあると思うので、詩歌の創作に携わっている人、作詞を手掛けている人、思想史に関心をもつ人は、この本に目を通すことで、自分のよって立つ所を再確認してみるのがいいだろうと思う。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR