黄金のアデーレ 名画の帰還

12月5日(土)晴れ

 横浜駅西口ムービル2でサイモン・カーティス監督作品『黄金のアデーレ 名画の帰還』を見る。

 アメリカ西海岸で洋裁店を経営している老婦人マリア(ヘレン・ミレン)は実はユダヤ人への迫害をのがれてオーストリアから亡命してきた過去をもつ。過去は忘れて、新しい生活だけを考えようとして生き、年老いてきた彼女であるが、姉の死後、ある文書を目にしたことから、捨ててきたはずの自分の過去と向かい合い、ナチス時代に奪われた自分の家の財産であるクリムトが描いた自分のおばアデーレの肖像を取り戻そうと、オーストリア国家を相手に訴訟を起こす。彼女の訴訟を助けるのが、彼女の友人の孫で、大作曲家アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)の曽孫である若い駆け出しの弁護士のランディ(ライアン・レイノルズ)である。この映画は実話に基づいて作られており、マリアもランディも実在の人物である。

 文書というのはウィーンの美術館に展示されている彼女のおばの肖像画は、おばの遺言で寄贈されたものであると通知するものであった。しかし、彼女は自分の家族の財産であったはずの伯母の肖像画が、ただの絵画として美術館に飾られていることに納得がいかない。アデーレとその夫には子どもがいなかったため、マリアと姉は実の子どものように可愛がられてきた。幼かったマリアは、なぜ、この絵の画面の大部分が金色でおおわれているのかが分からない。アデーレは、クリムトの絵だからよという。アデーレが早く死んだので、肖像画は伯母の思い出につながる大事な手掛かりなのである。彼女にとっては金色でおおわれていない、伯母の少し悲しげな表情が忘れられないものである。そしてマリアには新婚直後にナチス・ドイツによるオーストリア併合とユダヤ人弾圧を逃れて、姉のいるカリフォルニアに脱出してきた過去がある。彼女の父母を始めとして親族の多くが収容所で命を落とした。それはユダヤ系の人々の多くに共通する経験であり、ランディの曽祖父母もやはり収容所で命を落としているのである。

 オーストリアの政府がナチスによって略奪された芸術品の持ち主の返還の請求を受け付けるという知らせを受けて、はじめはウィーンに2度と戻りたくないといっていたマリアもランディとともにウィーンに向かう。現地で協力する人も現れて、短期間のうちに様々なことが分かるが、返還の要求は拒否される。あとは法廷に持ち込んで返還を求める以外の手段はないのだが、絵画の価値が高いためであろうか、訴訟費用が莫大でこの手段に訴えるのは不可能に近い。帰国して、昔の生活に戻ろうとした2人であったが、ある日、本屋でウィーンの美術館が発行した画集を目にしたランディは、米国内で、オーストリア政府を相手どって訴訟を起こすことが可能であることに気付く。

 返還を求める働きかけの進捗状況と、マリアの幸福だった少女時代の思い出、彼女がナチスによるユダヤ人への迫害が過酷になる状況の中でウィーンを脱出する過程が、順不同に描きだされる。幼い子どもがいて、さらに妻が新しい子どもを生もうとしているランディの家庭の事情も描かれるが、彼の生い立ちや、祖父のエピソードは映像としては出てこない。ただし、映画の中での会話で始終、あなたはあの作曲家と関係があるのですかと質問を受けている。だいたいまじめに答えているのだが、最後の方のウィーンの音楽会の切符を買うシーンでごまかしているところに、ランディの成長した姿を認めていいのではないか。
 ナチスによるユダヤ人の迫害、人権侵害、文化遺産の略奪や破壊をどのように受け止め、評価すべきか、いくつもの感動的なスピーチが展開される。それを特殊な事例として理解すべきではなかろう。ナチスがユダヤ人の財産である美術品を略奪したことが糾弾されるのであれば、同じように糾弾されてよい略奪行為は少なくない。どのような民族の文化も、財産も侵害されるべきではないのである。この映画は抽象的な美術史、美術への理解に対する家族の歴史、記憶からの異議申し立てを意味のあるものとして描いていて大いに考えさせられた。美術品の帰属をめぐる法律的な係争は鑑賞・批評とは別の、これはこれで重要な問題を提起していると思うが、わたしは門外漢なので関心をもったとだけ書いておく。

 映画の中でマリアとランディは同じユダヤ系であるとはいうものの、年齢も、人生経験も大きく異なる。(映画ではあまりはっきり描かれていないが、2人の家系の文化的・社会的な背景も異なっているようである。ユダヤ系といっても十把一絡げにはできない)。そういう違いが、時に対立や反目を生むのだが、新しい可能性を開くことにもなる。芸術史的な知識から拾い集めたことを書いておくと、シェーンベルクは後期ロマン派から出発して、十二音音楽へと向かった。アメリカ亡命後は音楽教育家として活躍し、ジョン・ケージを始めとする多くの作曲家を育てた。だから、彼の名を知る人はアメリカには多いのである。私は後期ロマン派が好きなので、シェーンベルクは敬遠してきたのだが、今回その音楽の片りんに接して、あらためて彼の音楽を聴いてみようと思った。
 余計なことをもう一つ書いておくと、シェーンベルクは画家のカンディンスキーと仲が良かっただけでなく、自分でも絵を描いていた。カンディンスキーの後期の抽象画はそれほど好きではないが、初期のロシアの民話に題材をとった作品は好きである。実話だから仕方がないといえばそれまでなのだが、クリムトではなくて、カンディンスキーの絵が問題になっていたのならば、もっと面白く映画を射ることができたのではないか…などと考えている。

 少女時代、新婚前後、老年とマリアを3人の女優が演じているのだが、老境に達してなお気品と気骨を失わない女性の姿をヘレン・ミレンが魅力的に演じているのが印象に残る。こういう同年配者がいると思うと、大いに心強い思いがするのである。
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